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故剣情深

2015年12月15日
故剣情深

【新唐人2015年12月15日ニュース】

 

 中国の歴史上最もロマンチックな天子の詔勅(お言葉)。この天子のお言葉に謎が秘められ、男と女の情の深いある逸話が隠れている!

 

 漢の宣帝(せんてい)は、前漢の第9代皇帝。武帝の曾孫。原名は、劉病已。即位の際に詢(じゅん)と改めています。初め民間に育ち、霍光に擁立されて皇帝に即位した。後世、後漢光武帝により前漢中興の祖とされ、中宗の廟号を贈られた。その数奇な生涯から逸話が多い。

 

『 漢書 』の記載によると、紀元前72年、漢の宣帝は突然大臣達にその目的がわからない詔書を公布して、詔書の中で次のように言う。

 

私は昔貧しい時一本の古い剣を使っていたが、今私はこの剣を大変偲んでいる。愛卿は私のためにそれを探し出すことができるであろうか?

 

何故このような詔勅(お言葉)を出したのか?

 

宣帝は普通の皇帝と違い、紀元前91年の巫蠱(こどく)の獄に巻き添えを喰らい 、生後間もない劉病已は投獄され、恩赦により釈放されると母方の祖母の実家に引き取って育てられて、長期に渡り民間人として生活した。

 

民間人の時、彼は許平君という女子を娶った。その許氏は勤勉で賢い女性だった。劉病已の最も困難な日々に彼と助け合って生きていた。宣帝は彼女に大変感動した。

 

紀元前74年、漢の昭帝が死んだ際に、跡継ぎがいないため、大司馬大将軍である霍光の推薦と主導で、18歳の劉病已は意外にも皇帝の玉座に上がることが出来た。

 

その恩返しとして、劉病已は霍光の娘を娶った。

 

しかし、霍光氏は満足できず自分の娘が皇后になることを望んでいた。

 

当時、霍光氏は位高く権力者であり、大臣達は霍光氏の歓心を買うため、宣帝に霍光氏の娘を皇后にするように勧めた。

 

立場の弱い宣帝は抵抗出来ず、本心に背くことも出来ず、翌日、この詔、即ち、「昔の古き剣を捜すように」と天子の詔を出したわけだ。大臣達はすぐにその詔の特殊な意味合いが判った。

 

 古く貧しく時に使っていた古い剣をさえ忘れない人間は、当然昔共に苦境の中でお互いに助け合った愛妻のことを忘れることができないだろう。

 

これを悟った大臣達は風向を転換し、次から次へと宣帝に許平君を皇后として迎えて下さいと上奏した訳だ。

 

宣帝は大臣たちの要望に応じ、愛妻の許平君氏を皇后として迎えることにした。

 

それ以後、古い剣は情が深いというロマンチックな故語が民間に知れ渡った。

 

http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2015/11/03/a1175670.html (中国語)

(翻訳/姜)

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