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四川大地震被災地復興取材で日本人記者の身柄拘束

2016年02月25日

【新唐人2016年02月25日】

 

18日、中国の人権派ウェブサイト『六四天網』(ろくよんてんもう)の創始者黄琦(こう き)氏と日本人記者3人が、四川(しせん)省都江堰(とこうえん)で、2008年に起きた5.12大地震後の復興状況の調査を行ったところ、警察に身柄を拘束されました。19日夜、黄琦氏らは釈放され、日本人記者らは成都市へ移送されました。

 

18日の昼頃、黄氏と関係者2人と日本人記者3人が、都江堰へ赴き当時の被災者家族らを訪ねました。その日の夜9時頃、黄琦氏一行は都江堰から車を走らせ、綿陽(めんよう)市の楊秀瓊(よう しゅうけい)さんの家に到着しました。

 

『六四天網』創始者 黄琦氏

「22時頃、当局が値保隊員を出動させ、我々に嫌がらせをしました。楊さんが警察に通報すると、1分もしないうちに40人以上の警察官が突入してきました」

 

その後、黄琦氏ら4人はパトカーで派出所に連行され、調書をとられました。

 

黄琦氏

「私は入るなり、『犯罪の容疑者ではない』と言いました。でも警察は取り合いませんでした。我々4人は別々の取調室にいました。警察は一方で資料を作り、一方で私のパソコンから捜査関連のものを探しました」

 

黄琦氏によると、当日一緒に5.12地震後の復興問題を取材した日本人記者3人は、19日に北川(ほくせん)県で拘束されたそうです。

 

黄琦氏

「最初に、翌朝、皆で会うと決めていましたが、我々が現れなかったので、彼らは直接北川に行き拘束されました。昨晩、拘束され、その後、成都に移送されました。今は、成都にいます」

 

警察が日本人3人を拘束した理由は、警察の紛争処理の証人にするためだそうです。19日夜、黄氏らは釈放されましたが楊氏は3人の国内安全保衛(国保)に強制的に行動制限など監視されました。

 

黄琦氏

「この出来事で、当局は5.12関連問題の継続的調査を許さないという重要な事を証明しました。取材した海外メディアにも伝えました。5.12後の復興の被害者は、5.12被災者より少ないわけではありません」

 

当局の報告では、この地震による死者は約7万人、家屋の倒壊は21.6万棟、中でも学校校舎の倒壊が6898棟に上りました。2009年、黄奇氏は学校の手抜き工事を調査したため、当局から「国家機密違法取得保有罪」により、3年の刑罰を科せられています。

 

新唐人テレビがお伝えしました。 

                                             

http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2016/02/20/a1253812.html (中国語)

(翻訳/赤平 ナレーター萩野 映像編集/李)

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