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父親救援のために18年間 ひとり泣きから全世界の声援を受けるまで【禁聞】

2016年10月01日

【新唐人2016年10月01日】

元中国法輪大法研究会のボランティア協調者・王治文さんのパスポートに当局からハサミが入れられ、米国に渡って娘と一緒に暮らすことができなくなった事件は、国際社会の注目を引き起こしました。王さんの娘・王暁丹さんは、父親の自由と安全のため、18年間、心血と努力を注ぎました。では、彼女のストーリーを聞いてみましょう。

 

王暁丹は人生の前半、18年間を父親に見守られて成長しました。

 

米国在住の法輪功学習者・王暁丹さん:「私はアメリカに来た時、18歳で、まだ子供でした。お父さんによく守られていたため、非常に子供っぽかったです。母は私がまだ幼い時、海外に行きました。ですから、お父さんが私をひとりで育ててくれました。」

 

留学して間もない、1999年12月27日、ちょうどクリスマスの休暇中、王さんはCNNテレビのニュースで、法輪功学習者の父が、数人の法輪功学習者と共に中共当局に刑を言い渡されている場面を見ました。

 

王暁丹さん:「人々がお祝いをしていた時、私はCNNテレビで親愛なるお父さんの顔を見ました。彼はほかの3名の法輪功学習者、李昌さん、姚潔さん、紀烈武さんと共に16年の刑を言い渡されました。私は本当に胸が張り裂ける思いでした。私の世界が崩れました。世の中には公正がなく、ただ暗黒だけだと感じました。」

 

王暁丹さんの父親・王治文さんはもと中国鉄道部のエンジニアで、また中国法輪大法研究会のボランティア協調者のひとりでした。1999年7月20日、江沢民が法輪功に対する弾圧を発動した当日の夜明け方に、王治文さんは不法に連行され、重刑を言い渡されました。

 

当時19歳だった王暁丹さんにとって、16年間は想像できないほど長いものでした。彼女は毎日涙を流し、一時期、失明までしました。しかし、彼女は最終的に今後の人生をお父さんを救援することに費やすことを決心しました。同様に法輪功学習者の彼女は中国に戻ることができず、父親を救援するためにできることは、ただ出会うすべての人にお父さんのストーリーを伝えることでした。

 

王暁丹さん:「学校には法輪大法の学生部があり、毎日そこに行って煉功しました。そちらで出会う人にみな伝えました。私の教授にも伝えました。教授は、私が法輪功が迫害されている事情をクラスで、まるでレッスンのように語ることに同意しました。それから、会社に務めると、同僚や、出会った人々にもお父さんの物語を伝えました。」

 

校庭から職場まで、王さんは絶えず成長しながら、父親の物語を身の回りの人から、米国の各地の人々に伝えました。彼女はいろんな法輪功の活動に参加し、ブッシュ大統領に手紙を書き、2回断食で(父親に対する)迫害に抗議し、米国を横断する救援の旅に参加し、父親を救援する活動の動画をネット上にアップしました。

 

しかし、中共の迫害に直面して、ひとりの女性が父親を救うことは容易なことではありませんでした。2007年、全世界が注目するAPEC(エイペック)首脳会議の間、王さんは米国からオーストラリアのシドニーに駆けつけ、父親を救援してくれるよう呼びかけました。その影響が巨大だったため、すべての親戚が非常に怖がりました。

 

王暁丹さん:「私の母側の祖母、数人の伯母さんたちが私に手紙を書いてくれました。私の伯父さんが一番批判極的でした。彼は中国のウェブサイトで私を摘発しました。私のお母さんも私に、彼らもみな巻き添えにされたと言いました。しかし、後になって、考えてみると、やはりやらないといけないと思いました。」

 

王暁丹さんは、その意志を堅持しました。2013年、彼女はお父さんの物語を米国議会に話しに行きました。議員らは心をうたれました。

 

王暁丹さん:「私は自分が下した決定にお父さんがプライドを感じることを望みます。私個人の能力、時間と資源はすべて限られていますが、私はずっと信じています。私には100%の努力を尽くすべき責任があり、人々に私のお父さんが自分の精神的信仰のために、不法に逮捕され、拘禁されている事実を知らせるべきだと信じています。」

 

米国議員・クリス・スミス氏:「これほど長年の堪えない抗争、これはどんなに誠実な愛でしょうか、どんな慈悲でしょうか。」

 

絶え間ない努力の下、王治文さんは2014年に解放されました。しかし、依然として、中共に監視され、生活をかき乱されていました。王暁丹さんは父親を救援する努力を中国まで広めました。

 

今年7月の下旬、彼女は夫と共に、中国へ向かいました。父親を米国に迎えて一緒に暮らそうとしました。彼らは度重なる障害を突き破り、すべての合法的な手続を終えました。しかし、思いがけず、広東で出国する時、王治文さんのパスポートは税関の係員に無理やりハサミを入れられ、出国できなくなりました。

 

この出来事は、王暁丹さんに父親の物語を更に多くの人に告げることを決心させました。今回彼女は孤独ではありません。

 

王暁丹さん:「法輪功学習者は、各国、20数ヶ国で私のお父さんのために呼びかけました。この出来事は特に不公平だと訴えました。その影響が特に大きく、一気に国際事件となりました。」

 

ひとり泣く状態から、全世界の声援を受けるまで、王暁丹さんは父親の物語を数え切れないほど語りました。しかし、彼女に一番に印象深かったのは、規模が雄大で勢いのすさまじい筋ではなく、親子間の暖かさでした。

 

王暁丹さん:「私は出国する時まだ食事が作れず、マッチ棒を擦ることもできませんでした。私が帰国した時、はじめてお父さんにご飯を作ってあげました。お湯を注ぐだけで食べられる麺で作りました。それに切ったきゅうりと白菜を入れました。お父さんはすぐやってきて、私の隣でとても興味深く私が野菜を切っているのを見ていて、その麺を食べることをとても期待していました。食べるときも非常に喜び、これは私の娘が私のために作ってくれたと言いました。」

 

父親を救援する道を、王暁丹さんはすでに18年間歩んできました。しかし、彼女は引き続き歩んで行くことを明らかにしました。彼女は父親を救援するウェブサイト(http://freemydad.org)で新たに署名を集めはじめました。

 

http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2016/08/27/a1283399.html(中国語)

(翻訳/廉 ナレーター/淳萌 映像編集/李)

 

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