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露メディア「レーニン遺体を赤の広場から撤去し費用は中国に払わせろ」【禁聞】

2017年03月22日

【新唐人2017年3月22日】

「十月革命」から100周年を迎えるロシアの・国営テレビが、モスクワの赤の広場に設置されているレーニンの墓を取り壊して遺体を別の場所に埋葬し、これにかかる費用をレーニンが好きな中国人に負担してもらおうと呼びかけました。このことは残虐な国家テロ政治を行ったレーニンがロシア国民から捨てられたことを意味すると専門家は分析しています。一方、中国では政府のプロパガンダにより未だレーニンに好意を抱く民衆が少なくありません。

 

ロシアで十月革命が発生して100周年の節目となる12日、各国のロシア正教会は声明を発表し、モスクワの赤の広場のレーニンの遺体を別の場所に埋葬しようと呼びかけ、レーニンの遺体は20世紀に巻き起こった迫害と弾圧の元凶であると位置づけました。

 

ロシアのレンタ新聞社は13日、ロシア・ブリヤード共和国の首都ウラン・ウデ市が市民の要望に応え、市の中心部に設置されている重さ42トンのレーニン像を取り壊し、仏像を設置する計画について吟味していると報じました。これまでに数千人の署名が集まっているとのことです。

 

民衆の間で共産主義の排除を求める声が高まる一方、ロシア共産党は中国・天安門にも毛沢東の墓が設置してあることを理由に、レーニンの墓の移転に反対しています。ロシア国民はレーニンの遺体に興味がなくとも、中国人旅行客は好んでレーニンの墓を訪れるので、現地にとって大事な収入源となっていると指摘するロシアの専門家もいます。

 

ロシアのRENテレビは14日、中国人がそれほどレーニンの遺体が好きなら、移転埋葬費用を中国政府に払わせればよいと報じました。また、ロシアのある評論家は「レーニンの遺体処理の最良の方法は、中国政府に贈ることだ」と述べています。

 

フリージャーナリスト 朱欣欣氏:「レーニンは祖国ロシアで完全に唾棄されています。なぜそんなことになっているかというと、今やロシアの民衆はレーニンが何をしたのか、本当の歴史を知っているからです。しかし大多数の中国人は中国共産党の愚民政策によるプロパガンダに騙されているため、そんなことを知りません。」

 

レーニンは1924年に死去し、その後遺体は内臓をすべて取り除き防腐加工を施した後に展示されてきました。ソ連が解体し共産党の独裁が終わった後、多くのモスクワ市民が、赤の広場に安置され国費を使って維持管理されているレーニンの遺体に不満を抱くようになり、遺体を移転させるよう求める声が出ていました。

 

フリージャーナリスト 朱欣欣氏:「レーニンの墓を移転するということは単なる死体一体の問題ではありません。重要なのは、レーニンが行った非道な国家テロ政策と独裁という政治制度に対して徹底的に決別するという態度の表れであるということです。」

 

朱氏は、これに比べ中国では共産党独裁に対しての反省や振り返りもされていないどころか、逆に退行していると考えます。

 

中国政府はマルクスの生まれ故郷であるドイツ・トリーア市にマルクスの銅像を贈りたいと申し出て、「不吉な物を建てるな」「ドイツの古都の歴史的汚点となる」などと現地メディアや学者から厳しく批判されました。中国政府は約77万4000人民元を銅像の台座部分の3分の2と設置費用として負担すると述べています。

 

インターネットライター 荊楚氏:「未だにマルクス主義を信奉する中国共産党に未来はありません。マルクス主義が世界の文明諸国で唾棄され軽蔑されているのにトリーア市にマルクスの銅像を贈ろうなどという発想は、ドイツで暴力と流血、人間性の否定を宣揚するようなものです。」

 

トリーア市議会は13日、中国のマルクス像贈呈を受け入れることを決定しました。これについて朱氏は、ドイツが中国のようにマルクス主義を肯定したわけではないと考えます。

 

フリージャーナリスト 朱欣欣氏:「マルクスの銅像を設置することにより、人々は邪悪なマルクス思想がもたらした悲劇を思い返し、忘れずに記憶し続けることができます。いわば反面教師としての役割があります。」

 

カール・マルクスは1818年に生まれ、幼少期はキリスト教徒でしたが、『マルクスとサタン』という書籍は彼が青年期に悪魔教に入信したと明らかにしています。マルクスが18歳の時に書いた戯曲『Oulanem』で、自分はサタンと契約を交わし、サタンに代わって全人類を地獄に落とすことを誓ったと書いています。マルクスは女中との間に子供を1人生み、後にエンゲルスに養育させています。

 

1870年に生まれたレーニンはマルクス主義を信奉し、1917年に十月革命を起こして民選政府を倒します。ロシア皇帝ツァーリ一族を皆殺しにし、ソビエト政権を樹立、その後3年に亘る内戦では数百万人が犠牲となりました。1924年に死去した後、イスラエルの神経科学チームが歴史文献を研究したところ、レーニンの死因は梅毒であったと発表しました。

 

新唐人テレビがお伝えしました。             

http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2017/03/18/a1316388.html(中国語)

(翻訳/白白 ナレーター/佐藤 映像編集/李)

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