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江沢民も恐れる「解放軍301病院」

2012年05月30日
【新唐人日本2012年5月31日付ニュース】北京の“301病院”は中国人ならば、誰もが聞きなれた名前で、メディアにも度々登場。近日、中国メディアが、301病院は共産党上層部の多くの秘密を掌握していると報道。一方、共産党高官専用のこの病院を、江沢民は大変恐れているそうです。背後に一体何が隠されているのでしょうか。
 
“301病院”とは、中国人民解放軍総医院の略称で、共産党中央および中央軍委員会の高官専用病院です。元々は華北軍区の学校の略称でしたが、後に協和病院から医療関係者を回し、病院に変更しました。
 
“中国新聞週刊”によると、301病院には“南楼”と呼ばれる病棟がありますが、厳重な警備が敷かれ、出入りには証明書の提示が必要です。情報によると、ここは共産党指導部の高官専用の病棟だそうです。
 
時事評論家の任さんは、301病院は数多くの高官の秘密を握っていると述べます。
 
時事評論家 任百鳴さん
「中共の301病院は神秘的な所で、昔は中共元老たちが治療の名目で、ここで画策を練っていました。一方、301病院は中央弁公庁主任の管轄下にあります。中央弁公庁主任は最高権力者の執事のような役目です。言うことを聞かない人は、中共の内部闘争の中で治療の名目でここに入れられる人もいますが、事実上は政敵の手中に入ったことに等しく、生死を握られているのです」
 
たとえば、楊尚昆元国家主席。風邪を引いて301病院に入ってまもなく、不審な死を遂げました。
 
時事評論家 任百鳴さん
「江沢民は楊氏兄弟を倒したかったのです。当時非常に元気だった楊尚昆が風邪で301に入院しましたが、まもなく亡くなりました。楊氏の死は、江沢民がかげで治療に手を回したと外部は見ています」
 
新唐人や大紀元が共同で執筆した“真実の江沢民”によると、江沢民は軍の最高権力を握っている楊尚昆を倒すため、手を尽くしました。曾慶紅に指図して最終的に鄧小平を説得し、楊尚昆兄弟を除いたそうです。
 
1998年9月15日、当局は楊尚昆主席が病気で死去したと発表。享年92歳でした。
 
任さんによると、それ以降、共産党の元老や高官たちは301病院に対し、恐怖感を抱くようになったそうです。
 
時事評論家 任百鳴さん
「胡錦涛政権になってから、胡錦涛側が中央弁公庁の役割を引き継ぎました。江沢民はうしろめたいので、301病院に行くのを非常に嫌がっていました。やむを得ない、場合を除いては301には行きません。いつも本拠地の上海で治療を受けます」
 
去年7月6日、香港のアジアテレビが独占情報として“江沢民が301病院で死去した”と報道し、世界中の注目を集めました。当時、中国のネット上では、“カエルが危篤”までが敏感なキーワードになりました。
 
江沢民の生死に関する風聞がまだ収まっていない今年2月、香港の雑誌“前哨”が、江沢民が去年のクリスマスに再度301病院に送られて救急治療を受けたと報じました。
王立軍事件発生後も、江沢民は301病院で心理治療を受けているとのうわさが流れました。
 
報道によると、病気の治療以外、301病院は共産党高官たちにとって、政局の変化に対処するための隠れ場でもあります。元老の王震は“4人組”が最も活躍していたときに301病院に入りました。名目は入院ですが、実際は入院を口実に、陳雲や鄧小平らと密かに連絡を取り合い、4人組を倒すための計画を練っていたそうです。
 
北京「経済学週報」元副編集長 王軍涛さん
「これらの共産党高官が最も信用しているのはやはり軍隊です。地方病院では多くの医者は背景が複雑なのですが、軍隊は厳しい審査を経ています。軍内部にはもう一つ、高官専用の病院があります。中央レベルの指導者、毛沢東なども行っていましたが、305病院です」
 
香港“文匯報”によると、2008年8月20日、華国峰元国家主席が死去したとき、305病院に霊堂が設置されたそうです。
 
新唐人テレビがお伝えしました。
 
 
(翻訳/坂本 ナレーター/村上 映像編集/蒋) 


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