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独立広場で3か月間戦ったミス・ウクライナ

2014年11月10日

 

【新唐人2014年11月10日】去年11月から、ウクライナの首都、キエフの独立広場では新ロシア派の大統領の退陣を求めるデモが数ヶ月間続き、最終的にヴィクトル・ヤヌコーヴィチ氏が大統領の座から追われました。近日、我々は独立広場で市民たちと共に闘った、2013年のミス・ウクライナに選ばれた、アンナ・ザモイスキさんを独占取材しました。

 

今年22歳のアンナ・ザモイスキさんはモデルで、映像学関係の芸術家でもあります。2013年にミス・ウクライナに選ばれ、同年のミス・ワールドコンテストにも参加しています。昨年11月に勃発した首都キエフ・独立広場でのデモ活動には、ザモイスキさんの姿もありました。市民とともに戦う姿がネット上で広く伝わり、ウクライナ公民運動における最も有名な人物となりました。

 

主催者

「独立広場でビニールの手袋と帽子をして、熱いお茶とチョコレートを配るアンナさんの写真を見ましたが、いつから行きましたか?広場に留まるようになったきっかけは?」

 

2013年ミス・ウクライナ アンナ・ザモイスキさん

「キエフの独立広場に行ったのは責任感からでした。広場に行ってみると、多くの助けが必要でした。女性たちがお茶を提供していましたが、何日も睡眠を取っていない人もいました。それを見て私もお手伝いできると思いました。そうすると彼女らが休めるからです」

 

ザモイスキさんは広場で3か月間過ごしました。熱いお茶や医療サービスなどを提供するほか、友人とウェブサイトを開設し、広場の市民のために募金や各種物資の寄付を呼びかけました。忘れがたい日々だったと述べます。

 

主催者

「広場に留まった3か月間、最も印象深かったことは?」

 

2013年ミス・ウクライナ アンナ・ザモイスキさん

「最初に広場の医療ステーションに立ち寄った時、顔が血だらけの男の子を目にしました。今でも目を閉じると、その場面が見えます。私の脳裏に焼き付いています。その時に感じたのですが、これらのごく普通の人たちは国のために、自分の全てを放棄する覚悟ができているのです」

 

まさにこの種の精神に励まされ、ザモイスキさんや多くの市民が信念を堅く守り、共通の目標に向かって共に戦うことができたようです。

 

主催者

「なぜ広場に止まるのは、市民としての義務だと思ったのでしょうか」

 

アンナ・ザモイスキさん

「国家は一つの全体で、民衆の間に小さな違いがあっても構いません。ただし一つだけ堅く信じています。つまり我々は人権が必要です。共通の価値観を守らなければなりません。だから国民として、共通の価値観のために共に戦います。自分たちの権利が剥奪されるのを傍観するわけにはいきません」

 

2013年11月21日から始まった首都キエフの独立広場での抗議行動は、2014年2月、ヤヌコーヴィチ大統領の解任をもって収束しました。最大規模の時には20万人とも言われる人々が広場に集結し、ウクライナのEUへの加入を呼びかけ、ヤヌコーヴィチ大統領の退陣を求めました。同時に、政府の腐敗、権力の乱用や人権侵害などにも抗議しました。3か月にわたるこの抗議運動は、ウクライナの政治、経済、社会などに大きな影響を及ぼしました。

 

主催者

「ウクライナは大きく変りましたが、貴女とウクライナの人々の訴えは実現したと思いますか」

 

アンナ・ザモイスキさん

「去年広場での抗議に参加した民衆にとって、政府の革新は短期的な訴えの一つに過ぎません。長期的な訴えは未来の改善で、より良い就職の機会を獲得し、安心して暮らすことです。まだ小さな一歩を踏み出したにすぎず、これで満足しているわけではありません」

 

ザモイスキさんは近日、ウクライナのある大学のために募金を呼びかけるため、アメリカを訪れました。どこにいても、国のために力を尽くすと述べました。

 

新唐人テレビがお伝えしました。

http://www.ntdtv.com/xtr/b5/2014/11/09/a1152643.html (中国語)

(翻訳/坂本 ナレーター/水田 映像編集/李)

 

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