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中国共産主義の教えを破る天体物理学者の自伝、英語版出版【禁聞】

2016年04月16日

【新唐人2016年4月16日】

(文中敬称略)

亡くなった天体物理学者方励之(ほう れいし)の自伝の英語版が今年2月、米国で出版され「鄧小平(とう しょうへい)にとって、最も悩ましい人」と言われた人物が再び注目を浴びています。

 

1989年6月4日、中国政府は軍隊と戦車で天安門広場で平和抗議をする学生を大量虐殺し、世界中に衝撃を与えました。一週間後、有名な天体物理学者、方励之と妻、李淑賢(り しゅうけん)は、抗議活動の後ろ盾だと政府に決めつけられ、第1号と第2号の指名手配犯になりました。幸いなことに、このとき彼らは「ブッシュ大統領の客人」として、米大使館で6日間避難していました。

 

方励之夫妻は、米国大使館で6ヶ月の滞在後、イギリスで6ヶ月間、客員研究員として滞在、その後、米国に定住しました。方励之は、アリゾナ大学の物理学教授を務め、米国物理学会(American Physical Society; APS)のフェローとなり、天体物理学と宇宙論の教育と研究に従事し続けました。

 

2012年4月6日、76歳の方励之が自宅で亡くなり、李淑賢は当時米大使館避難中に方励之が書いた自伝、それから、米国での生活記事と思い出の文章を加え、『方励之自伝』に編成し、2013年台湾で出版しました。今年2月、この自伝が英語に翻訳され、米国で発表されました。

 

最近、米国の『サイエンス』誌は、関連書籍のレビューを発表し、『ニューヨーク・タイムズ』も英語版翻訳者のインタビューを掲載、方励之の生涯を紹介し、再び人々の注目を集めました。

 

政治評論家胡平(こ へい)

「彼は海外に来て2005年まで、中国人権理事会会長も務めていました。私も中国人権理事会理事です。その時に接触するチャンスが多くありました」

 

同じく米国に亡命した政治評論家の胡平は、物理学者の方励之が、中国の人権のために奔走したことを思い起こしています。

 

方励之は、1970年代から独学で、中国の現代宇宙学を築き、彼と彼が指導した中国工科大学の研究チームが、僅か10年で、天体物理学における世界最先端に割り込みました。

 

1980年代、方励之は中国科技大学の副校長を務め、当時の有名な教師の1人です。1986年、全国各地の学生達が学生運動を起こし、中国政府に改革を求めたとき、彼が提唱している思想の自立、民主と人権など普遍的価値が学生運動の原因だと指摘され、1987年1月、除党され、中国科技大学の副校長の職も解除されました。1989年「6・4」の虐殺後、彼は抗議運動を扇動したとして、指名手配されました。

 

英語版翻訳者林培瑞(りん ばいずい/Perry Link)氏が『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューでこのように述べました。「政治分野での方励之の考え方は科学原則に基づいています。科学は疑いから始まりますが、マルクス・レーニン主義の教義は疑いを禁止。科学は真実の前で誰もが平等ですが、共産党は指導者が是非の判断権を持っています。科学は真理が普遍的な真実ですが、共産党は真理に中国色を加えられると思っています」。

 

これこそ、方励之が共産主義から離れ、人権民主を選んだ理由だと林培瑞氏は分析しています。

 

天体物理学者の方励之は、宇宙の構造に詳しく、『ラジオ・フランス』は報道で方励之の言葉を引用しました。「このようなバランスがとれた宇宙で生まれた人類は、生まれつき持っている権利が尊重される世界を築かないわけがありません。」

 

ニューヨーク都市大学政治学教授夏明(か めい)

「我々は社会関係の中で生活しています。社会の発展、歴史の流れは私たちと密接な関係があり、人々は政治に関与しなくてはなりません。民主主義は市民参加の下で構築するものです。正常な社会の政府の役目は人々の基本的人権を保護することです」

 

方励之の同僚、米国物理学会国際事務部前主任アーヴィン・グレルヒは、「アメリカの声」のインタビューで、「方励之は、卓越した科学者であり、人文に関心も深く、政治活動家でもあり、独裁者の敵であり、勇敢な人権擁護者だ」と述べました。

 

新唐人テレビがお伝えしました。

http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2016/04/01/a1260339.html (中国語)

(翻訳/小松 ナレーター/水田 映像編集/李)

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