【新唐人2017年10月5日】
北朝鮮が最近、核実験場付近の居住者の平壌への立入を禁じたことを巡り、中国東北部の住民の間に核汚染への懸念が広まっています。一方、中国当局もこれまでに40回以上の核実験を行っており、深刻な核汚染をもたらしています。かつて核実験に関わった秘密部隊のメンバーに取材しました。
1964年から1996年にかけての32年間に、中国当局は40回以上核実験を実施しました。そのうち11回は地上、11回は空中、24回は地下で行われました。広島に落とされた原爆の300倍以上の威力がある核爆発は、周辺住民に多大な健康被害と環境汚染をもたらしました。しかし中国政府は、核実験の被害状況を公表せず、調査を禁じているため、実際の被害の程度は今もなお不明のままです。
最近、当時の核実験に参加した秘密部隊のメンバーが陳情をし、世界は中国の核実験の被害について知るようになりました。この秘密部隊は8023部隊といい、新疆ウイグル自治区馬蘭村の第21試験訓練基地で核実験に携わりました。
8023部隊の技術中佐だった祝洪章(しゅこうしょう)氏は、8回の核実験に参加しました。
元8023部隊技術中佐 祝洪章氏:「私は当時、核実験場のサンプル取得チームにいました。核爆発の後にサンプルを取得するのです。当時は、実験が極秘であったため、汚染への保護対策は十分ではなく、毎回我々に薬を飲ませるだけでした。当時は核実験がどれほどの健康被害をもたらすのか知りませんでした。」
祝洪章氏は20年間、体に害を及ぼす放射線を直接浴びたため、背中の筋肉硬直や手足のしびれ、眩暈、難聴などの症状が現れました。軍の546病院と蘭州軍区ウルムチ総合病院で、放射線を浴びたことによる職業病に罹患していると診断されました。
元8023部隊技術中佐 祝洪章氏:「防護服はほとんど役に立ちませんでした。髪の毛は抜け、体には力が入らず、免疫力が低下しました。1960年代に核実験に参加した者の半分以上が死亡しています。当時の核汚染防護対策はひどいもので、先進的な機械も設備もなく、人力で作業を行っていました。」
現在54歳の祝洪章氏は、しかるべき転職を手配されなかったとして、20年間陳情を行ってきました。現在戸籍も収入もありません。
2009年には、天津市に居住する60人以上の元8023部隊メンバーが、陳情を行いました。各地でも元8023部隊メンバーが、退役後に深刻な健康被害が現れ、生活に困難を来したとして、陳情を行いました。
放射線による汚染に苦しむのは核実験基地の軍人だけではありません。
作家の鄭義(ていぎ)氏によれば、新疆ウイグル自治区の核実験場は、人口が密集するコルラ市と焉耆(えんき)県、そして百万人に飲み水を供給するボステン湖から270キロ、核実験場の後方支援都市である馬蘭から180キロ、新疆生産建設兵団から127キロの距離にあります。
時事評論家 唐靖遠氏:「核実験は実験場付近に居住する住民に生命を脅かす多大な健康被害をもたらしました。30年間に少なくとも数十万人の命が核実験が原因で亡くなっています。この数字は、政府の内部文書と、日本の学者の研究が出典となっています。」
札幌医科大学の高田純教授は2002年8月から中国の核実験の影響について調査と研究を行っており、46回の核実験の爆発の威力、放射線量、気象データ、人口密度分布などから、楼蘭遺跡付近で行われた3回の一兆トン級の核爆発により発生した大量の核の砂塵が、風に乗って拡散し、東京都の136倍もの面積に当たる新疆ウイグル自治区に落ちて、19万人のウイグル人が急死したほか、3万5千人以上の奇形児、3700人以上の白血病患者、1万3千人以上の甲状腺癌患者を含む129万人が急性放射線障害を患ったと、報告しています。
新唐人テレビがお伝えしました。
http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2017/10/02/a1344814.html(中国語)
(翻訳/白白 ナレーター/佐藤 映像編集/李)