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4.25法輪功陳情の真実とは

2010年04月25日

【新唐人2010年4月23日付ニュース】11年前の4月25日、およそ1万名の法輪功学習者が北京の陳情受付所を訪れました。拘留されている学習者の解放と、監視を受けずに煉功できる環境を求めたのです。後に当局はこれを「中南海の包囲」と決め付けました。

1999年4月25日の早朝、北京などからおよそ1万名の法輪功学習者が北京の陳情受付所を訪問。海外メディアも注目しました。
 
地元の地理に疎い法輪功学習者は、現場の警察官に中南海へと誘導されました。内部情報によれば、「法輪功弾圧のための『証拠』が見つからないため、当局は『証拠』を作り上げて武力弾圧を企てた」そうです。
 
関係者によると、武力弾圧後に死傷者を受け入れられるよう、当局は前もって病院に準備させていました。群集に紛れ込んだスパイが夜まで現場を離れないよう人々をそそのかし、待機していた武装警察が彼らを強制排除する。つまり、天安門事件の再現です。
 
法輪功学習者はこれに気付いていませんでしたが、修煉者として、完全武装の武装警察を前にしても穏やかでした。最後は、紙切れや警察官の吸殻まで、丁寧に拾ってから去りました。
 
4.25陳情の原因:天津事件
 
1992年李洪志氏が法輪功を伝え始めると、修煉者の数が爆発的に増え、一部当局者の懸念を呼びました。96年から締め付けが始まり、99年4月11日、何祚庥(か さくしゅう)【訳注、共産党幹部の羅幹(らかん)の親戚で物理学者】は天津のある雑誌に法輪功を中傷する文章を発表。これに対し、天津の法輪功学習者は自身の体験を雑誌社に訴え、真実の究明を望みました。
 
4月23日と24日の両日、天津警察は突如、雑誌社を訪れた学習者を暴行、逮捕。そして人々に北京へ陳情に行くよう勧めました。これを知った学習者は25日、次々と北京へとおもむいたのです。
 
 
 

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