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北京広渠門での生死の別れ

2012年08月03日

【新唐人日本201283日付ニュース】721日、北京を襲った豪雨。この日、無数の命が姿を消しました。当日夜、さんは夫からの助けを求める電話をもらい、夫の車が水没している現場―北京広渠門橋に向かいました。現場の警察に救助を求めたものの、“自分の管轄ではない”と言われ、目の前で夫が溺死するのを見届けるしかありませんでした。

 

遭難者丁志健さんの妻 邱さん

「夫は電話で『速く助けて、車のドアが開かない、もう空気がなくなる』と言いました。私は現場に駆けつけ 『お願いします。誰か泳げる人は?中に人がいます。お願いだから助けて』と尋ねまわりました。警察は『自分の管轄ではない、消防に頼んで』というのでした」

  

これは邱さんと夫・丁志健さんの最後の通話でした。32歳の丁さんは幼児関連雑誌社に勤めていました。721日午後740分、邱さんが夫の帰宅を待っていた矢先のことでした。

 

遭難者丁志健さんの妻 邱さん

「私は『速く出なさい』といいました。彼は『出ようとしているのだけど、ドアが開かない』と言うのでした。『速く110に電話して』というと通じないと言うのでした。『速く何か方法を考えて』と

私が言いました。そして彼が電話を切りました。私も焦っていました。110が通じないと言うので、かけて見ましたが、確かに通じませんでした」

 

焦った邱さんは鋤を持って広渠門橋に向かいました。現場の警察に助けを求めたものの、警察は消防隊に押し付けます。一方の消防隊員にも緊迫感はまったく見られません。見かねた市民らが救助活動を展開しました。

 

遭難者丁志健さんの妻 邱さん

「特に感謝したいのはある青年です。服を脱いで水に飛び込んだのは彼が一人目でした。彼の妹が消防隊員に言いました。『兄が水に入ったから、あなたたちは入らなくてもいいけど、浮き輪くらい渡してもいいでしょう』」

 

この状態は午後10時まで続き、丁さんが助けを求めた時刻からはすでに2時間半が経過。やっと幹部らしき人が姿を現しました。

 

遭難者丁志健さんの妻 邱さん

「ある兵士が来て、何々幹部が来たと告げました。彼らはやっと救助を始めました。上司が来たのです。これは明らかなパフォーマンスです。上司が来たので、救助はとても速く進みました。10分間で車2台が引き上げられました」

 

2台を引き上げるのにかかった時間は、わずか10分でした。邱さんはここで、帰らぬ人となった夫の姿を目にしたのです。

 

新唐人テレビがお伝えしました。

 

http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2012/08/01/atext740579.html.(中国語)

(翻訳/坂本 ナレーター/佐藤 映像編集/工)

 

 

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