【新唐人2009年10月8日付ニュース】20年前の天安門事件、中共当局は民主化を求める無抵抗の学生たちを弾圧した。当時北京体育大学の学生だった方政氏は、北京の六部口で装甲車に轢かれ両足を失った。最近、方政氏はアメリカワシントンで「命の恩人を探して、目撃者を探し、天安門事件の真相を探す」呼びかけの声を発した。
1989年の天安門事件で解放軍の装甲車に轢かれ両足を失った方政氏は、20年後アメリカで義足を装着し、再び立ち上がった。事件当時の一枚の写真を見て、彼は当時の命の恩人を探すことに思い立った。
「アメリカに来てから、一枚の貴重な写真を見た。当時私が装甲車に轢かれてから、柵にもたれているところを、ある人が止血をし、手当てをしてくれている。病院に運ばれたとき、医者は幸いなことに専門知識のある人が止血をしてくれたから、救急治療が間に合い、助かった。この写真を見て私はこの方に会いたいと思った。」
方政氏は命の恩人に感謝し、この恩人とこの写真を撮影した人は事件の最も重要な目撃者なので、一緒に当時の状況を思い出し、真相を究明したいと表した。
「装甲車に轢かれたこの事件は天安門事件の中でも最も惨烈で最も理不尽で最も残酷な場面と言える。装甲車は狂ったように後ろから、撤退している学生らを轢き、死亡したのはほとんどが北京の大学生。なぜこのような事が起きたのか、当時一体何があったのか、我々多くの経歴者も怪我をした私を含めて、はっきりわかっていない。装甲車がなぜあんなに速いスピードで学校に戻る学生たちを轢いたのか。」
これに対し、彼はいまだに理解できない。彼は当時の証人らが一緒に立ち上がり、なぞを解くことを望んでいる。
「さらに望むなら、当時の装甲車の運転手や車内にいた兵士たち、彼らに良心と勇気があれば立ち上がって欲しい。彼らが当時なぜあのような行動に出たのか、個人の判断ミスだったのか、それとも命令を受けたのか、あるいは上からの決断だったのか、私は彼らのような六部口の事件の当事者に出てきてもらい、公に当時の状況を説明して欲しい。」
方政氏は事件の当事者として、生存者の一人としてやるべきことは、死んだ人たちのために事件の真相を究明することであると述べた。彼は、アメリカは自由の国なので、恩人がeメールや電話など安全なルートから彼と連絡をとってくれることを望み、一緒に真相を探したいと述べた。
http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2009/10/08/a358647.html#video (中国語)