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楊佳 警官殺害事件―中国で喝采を浴びる理由

2010年07月03日

【新唐人2010年7月4日付ニュース】中国共産党が成立した7月1日。実は2年前のこの日、上海の警察署にある青年が押し入り、包丁で警察官6名を殺害する事件が起こりました。凶行に及んだのは北京の青年―楊佳さんです。意外にも事件後に中国で湧き起こったのは、殺された警官への同情ではなく、容疑者の青年に対する称賛でした。2年を経た今、改めて事件を振り返りたいと思います。

北京オリンピックを1カ月に控えた、2年前の7月1日、28歳の青年、楊さんは上海の警察署で包丁を使い警官を襲撃。わずか数分間の襲撃で、6名の警官がその場で亡くなりました。
 
この事件は、国の威信をかけてオリンピックを進めていた当局にとって、致命的な一撃となりました。
 
彼は警察の事情聴取に対し、殺意についてだけ、こう言い残しました。「ある屈辱を一生背負うくらいなら、法を犯すほうがいい。俺に納得のいく答えをくれ、そうでないなら、俺がその答えを上げよう」
 
歌詞の字幕
「納得のいく答えをくれ、俺がその答えを上げよう。どこかと勇敢に尋ねる、訴える場がない、どこかと勇敢に尋ねる。道はすぐ足元に」
 
この彼の残した言葉は、瞬く間に中国全土へと広がっていきます。警官への同情はほとんどなく、代わりに彼を称賛する声であふれました。
 
あのような凶行に及んだ彼ですが、ブログの中の彼は、明るく健康でガールフレンドをほしがる、ごく普通の青年でした。一体何が彼をここまで追い詰め、凶行に駆り立てたのでしょうか。
 
この点について、彼は自転車の窃盗容疑をかけられたため何度も無実を訴えたものの、逆に警官から残酷な暴力を受け、生殖機能に障害さえ出た、といわれます。
 
事件の真相とは一体何なのでしょうか?しかし彼には、釈明する機会が一切与えられませんでした。
 
事件から約1年後、非公開の簡単な審理だけで彼に死刑が下ります。2カ月後の二審には、多くの上海市民が裁判所に駆けつけました。彼の死刑を、誰もが十分承知していましたが、彼を応援せずにはいられなかったのです。
 
上海市民
「楊佳は何も言わなかった、ありえない。これは当事者の権利。何も言わなければ、真実さえ分からない。裁判は見掛け倒し」
「発言が許されないのか、彼が言いたくないのか」
「これは文化大革命と同じ、文化大革命の再来だ」
「この事件で見えるのは、警察と市民の関係」
「これこそ強盗。この政権は最初から強盗だった」
 
二審でも死刑が下り、2008年11月26日、わずか28年の彼の生涯に幕が下ろされました。
 
彼の処刑後、社会では彼を悼む様々な活動が見られました。例えば、「故郷の刀」という曲が彼に捧げられました。
『故郷の刀』 盤鼓楽隊
 
ある北京の弁護士は、事件に関しこんな言葉を記しました。「これは、腐敗した社会に対する市民の抗議の叫びだ。この腐敗と不公平をなくさなければ、楊佳は死んでも、彼に続く者が100人1000人と現れる。第二、第三の楊佳は警官殺傷だけではすまず、もっと大きなことをするかもしれない。その可能性がないわけではないのだ」
 
弁護士のこの予感は的中しました。今年の6月1日、湖南省である中年男性が裁判所へ押し入り、小型の機関銃と拳銃を乱射し、裁判官3名を射殺。これほどの凶行でさえ、中国では市民の喝采を浴びました。
 
警察官殺傷事件以降の2年間、中国では、爆弾入りの小包を送りつけたり、刀で襲撃したりするなど、当局に報復する事件が絶えません。
 
香港の新聞、『アップル・デイリー』はこう述べます。「追い詰められた市民が当局に暴力で報復するようになったら、その社会の司法正義はもう死んだに等しい。ここまで来たら、後悔しても遅い」
 
楊さんの残した一言「納得のいく答えをくれ、でなければ俺があげよう」。この言葉は、耐え難い苦しみをなめる市民の心を揺さぶりました。彼らは、それしか残された道はないと思い始めたからでしょう。
 
新唐人記者がお送りしました。
 

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