【新唐人2013年4月14日付ニュース】中国には「山谷の住民」という人気音楽バンドがあります。彼らの歌声をファンは“世俗とかけ離れた天外の声“と形容しています。1998年に3人の若者によって結成されましたが、うち一人が2008年、この世を去りました。その原因は今になってもタブーにされています。本日は彼らの物語をご紹介します。
中国の政治と文化の中心―北京。
1998年、音楽をこよなく愛する若者3人が、この地で音楽バンド「山谷の住民」を結成。
滑らかで透き通った歌声と世俗とかけ離れた姿勢が、レコード会社の目に止まり、1枚目のアルバムが誕生します。
10年間の絶え間ない公演を経て、バンドのファンは日を追うごとに増えて行き、その名も広く知られるようになります。ある音楽評論家は、“彼らの音楽は生活の最も本質的な香りがする”と評価しています。
2008年、バンドの人気はますます高まり、この「私の家」は2008年の旧暦新年から衛星放送「スター」傘下の「Channel[V]」で放送されるようになります。
しかしこのとき、メンバーの一人於宙さんに悲運が訪れようとしていたことを、誰も予知できませんでした。
於宙さん。バンドでドラムとハーモニカを担当し、ボーカルもこなす人気者でした。この「愛の箴言」は毎回欠かせない人気曲目でした。
2008年1月26日。この日はいつも通り、公演を終え妻と2人で帰路に着きます。いつもと違うのはこの日、北京オリンピックの開催の名目で、検問が行われていました。
二人の車を止めた警察は、車の中から法輪功の書籍を発見し、法輪功学習者だと断定し拘置所に監禁しました。
11日後の2月6日。この日は旧暦の大晦日でした。於宙さんの家族のもとに突然、面会の知らせが届きます。病院に駆けつけた家族の前に横たわっていたのは、白いシーツを被せられて冷たくなった遺体でした。しかも、当局の監視の下、顔を見ることすらできませんでした。
於宙さんは短い11日の間に命を奪われ、42歳の若さでこの世を去りました。この11日の間、一体何があったのか。遺族が検死を求めたものの、警察当局に拒否されました。
於宙さんと一緒に逮捕され3年の判決を受けた妻・許那(きょ な)さんは、最愛の夫との最後の対面すら許されませんでした。
残されたバンドのメンバー2人からみた於宙さんは、誰よりも心優しく、正しいと思うものは最後まで貫く粘り強い精神力の持ち主でした。
「山谷の住民」の誰もが、あの日には戻れませんでした。於宙さんの笑顔も二度と見る事ができません。
於宙さんは地元でトップの成績で北京大学のフランス語学科に入りました。1995年、友人の紹介で法輪功の修煉をはじめてからは、更に素朴で心優しい人になりました。この内面の気質は、後のバンドの音楽の中でも現れました。
楽音が突然止まり、於宙さんはこの世を去りました。しかし、5年過ぎた今でも、ファンから忘れられることはありません。
中国では於宙さん同様の悲劇が今でも各地で繰り返されています。真心で歌い上げる「愛の箴言」の響きを最後に、もう、この悲劇に終止符を打つ時が、来ました。
新唐人テレビがお伝えしました。
http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2013/04/11/atext878413.html (中国語)
(翻訳/坂本 ナレーター/村上 映像編集/工)