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大躍進政策 4500万人が死亡――ロンドン大学教授が新作で指摘

2010年09月23日

【新唐人2010年9月24日付ニュース】共産党政権の政策で犠牲となった中国人は、膨大な数に上ります。1950年代後半からの「大躍進政策」の死者の数はずっと謎でしたが、最近、ロンドン大学のフランク・ディコット教授は、4500万人以上が餓死したと述べました。

「南華早報」によると、フランク・ディコット教授は「毛沢東が発動した大躍進政策は、強引な生産ノルマを課したが、誰もその誤りを指摘せず、しかも毛沢東が食料による、ソ連への借金返済にこだわったため、食糧事情が悪化した」と指摘。
 
1958年3月、「大躍進政策」が始まると、政府は「3年でイギリスを追い越し、10年でアメリカを追い越す」と豪語し、農民を工業生産に駆り出したため、農地は荒れ放題になくなりました。
 
しかし、この中で生産量の水増しが横行。中央政府に報告される時には、4倍近くに増えることすらありましたが、実際には、農民は飢えに苦しんでいました。
 
数字が大幅に水増しされたので「思う存分飯を食べよう」との掛け声が発生。数ヵ月後には、食糧が空になりました。
 
1959年の春にはすでに、飢饉の前触れが現れていました。中国の一部地域だけで、2500万人が満足に食べられなくなり、人の肉を食べる悲劇さえ生まれました。
 
大躍進の飢饉の死者数とは?共産党が出した「中国共産党の70年」によると、1960年、全国の人口が1000万人も減ったそうです。
 
「ラジオ・フリー・アジア」は、中国の農業問題に詳しい文貫中教授の話として、当時の大飢饉で亡くなった人の数は、極めて矛盾する数字があると報道。楊尚昆元国家主席は1000万人以上と述べた一方、陳毅元帥は4500万人ほどだと発表。
 
ただし、餓死だけとは限らず、栄養不良で病気になり亡くなった人のほうが多いのです。
 
去年の4月、「広州日報」は、農作物に詳しい中国工程院の袁隆平氏を取材。袁氏は、大躍進の時代、1959年はほとんど作物の収穫量はゼロとなり、5000万人ほどが餓死した。自分もじかに5名の餓死者を目にした」と振り返りました。
 
新唐人テレビがお送りしました。
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