【新唐人2010年11月9日付ニュース】中国のかつての指導者、毛沢東は「帝国主義、封建主義、資本主義」を人民にのしかかる3つの大きな山、すなわち大山だと述べました。今、また新たに三つの大山が生まれたといわれています。それは「教育、住宅、医療」です。
三つの大山、それはかつて中国人を苦しめるものの象徴でしたが、「平和と繁栄の時代」に再びよみがえりました。「教育、住宅、医療」が中国人にとって、どれほど大きな負担なのかが、ここから透けて見えます。
現代の三つの大山のうちの1つ、教育は住まいや医療と比べると、人の命には直接関係しません。しかし、ここ数年、学費が払えないため自殺に追い込まれる事件が相次ぎ起こっています。つまり、異常に高い教育費はすでに中国人の命を侵(おか)し始めているのです。
本日は中国の教育問題について、分かりやすく鋭い解説で知られる、経済専門家の何清漣さんに伺います。
教育はなぜ、大山(たいざん)のひとつになったのでしょうか。
これはずばり、中国の教育制度改革が原因です。つまり「教育の産業化」。いわゆる「教育の産業化」とは、そもそも国が負担すべき教育の費用を庶民に押し付けたのです。その結果、教育は利益の出る産業になりました。
この「教育の産業化」政策は1998年に提唱され、99年に正式に行われ、2000年には全国に広まりました。しかし数年後には、人々の不満を買う「改革」になりました。
実は、90年代半ばの中国市場は、停滞気味でした。政府は雇用を増やし、内需を拡大して経済成長を促すため、インフラの整備に巨額を投じました。しかし、十分な成果は現れませんでした。
停滞する市場を前にした大学は、ひそかに学費を上げて収入を増やしました。これにより、大学の財政は大幅に改善され、教師の待遇もずいぶん上がったそうです。
そして90年代後半になると、「教育の産業化」という言葉がメディアをにぎわすようになりました。多くの経済専門家がこれを積極的に推し進めました。アジア開発銀行に在籍した湯敏(とうびん)氏もそのうちの一人です。
当時、中国政府はちょうど停滞する市場に悩んでいました。そんな時に湯敏(とうびん)氏が「教育の産業化」を提案したんです。これは市場を刺激するのと同時に、教育の財政負担も減らせるので、すぐに政府に採用されました。
湯敏氏は「教育産業化の父」と胸を張っていましたが、この政策が行われて2年ほどすると、不満の声が飛び交いました。その後湯敏氏は自ら「私は教育産業化の父ではない」とマスコミに告げました。
中国の「教育の産業化」とは何ですか。
主に高い学費の取り立てです。「教育の産業化」といっても、実際は教育費の徴収制度の改革でした。では、どれくらい値上がったのでしょうか。
ある専門家の統計によると、中国は1994年から2003年までの10年間で、小中学生から2000億元、当時のレートで約3兆6千億円を徴収しました。中国でも、諸外国と同じように中学までは義務教育のはずなのですが……
天津市のある調査によると、中学生で1500元あまり(約19000円)、小学生でも1000元(13000円)あまりかかります。これは雑費(ざっぴ)など様々な名目で徴収されますが、寄付金などは別です。私の息子の時もそうでしたので、これは私も経験ずみです。だから中国では、「義務教育」はもう義務ではないといわれています。
ある方の統計によると、1986年から96年までの10年間で、大学生1人当たり毎年平均の学費が100倍になりました。これは実に大きな重荷になっています。都市住民の平均の手取り収入(可処分所得)は、2005年ようやく10,000元を突破したばかりなのに、大学の学費はそのずっと前に突破していました。
ひと家族3人だとすると、家庭の年収が3万元ですから、そのうち少なくとも1万元は学費で消えます。さらに寮の費用や食費で5000元必要ですから、普通の家庭ではまったく負担しきれませんね。
一方、農村住民の年収は2000元を超えたばかりで、これでは話にもなりません。
だから「教育の産業化」政策以来、中国の農村にはある状況が生まれました。村で一番貧しいのは、大学生の子が一番多い、つまり2人以上の子が大学生という家庭です。
だから毎年大学入試に受かった子の家庭は、本当に不幸です。親は、親戚など方々(ほうぼう)を回り、お金をかき集めます。もしお金が足らないと、親子の関係が悪化し、結果自殺する親さえ少なくありません。農薬を飲んだり、レールの上に横たわったり……。
また「子供の進学のため腎臓を売る」という看板を掲げる親も、町では見かけます。
アメリカの新聞「ニューヨーク・タイムズ」は、2005年江西(こうせい)省のある中学生が680元の学費が払えず、大学入試を受けらなくて、自殺した事件を伝えました。
教育が暴利を得る産業になるなど、世界に例がありません。2001年から連続して、教育と不動産が暴利を得る産業の1位と2位ですが、これが中国の本性です。
1986年4月12日、第6回全国人民代表大会で「中華人民共和国義務教育法」が通過。
「中国人民共和国義務教育法」
第2条 国は九年制の義務教育を行う
第10条 国は義務教育の生徒の学費を免除し貧しい生徒には基金を設立して援助する
2000年中国は、すでに計画通り「九年の義務教育」をほぼ普及させたと発表。しかし、共産党中央党校(ちゅうおうとうこう)の「中国農村 9年の義務教育」の調査によると、16の省の農村で、15歳以上の人が受けた教育は平均7年未満。実際、3年間中学校に通えた人は3割以下。進学できない主な理由は経済上の理由だそうです。
2006年6月29日第10回全国人民代表大会で「中華人民共和国義務教育法」が改正されました。
「中華人民共和国義務教育法」第2条
国は九年の義務教育制度を行う
義務教育とは入学適齢期の子供すべてに
教育を受けさせることで
これは国が保障すべき公益事業であり
学費や雑費を取らない。
では、新たな「義務教育法」で教育費のぼったくりを防ぎ、真の「義務教育」を実現できたのでしょうか。
先生はかつてある文章で、中国の教育予算の配分は合理的ではないとおっしゃいました。合理的ではないという意味は?
何よりも国の教育予算が少なすぎます。世界を見てみると、例えば発展途上国。中国より貧しい国でもGDPの6%あまりが教育予算です。
中国はここ数年、ずっと3%前後で、約束していた4%には達していません。一方の台湾はずっとGDPの9%あまりを維持し、ピークの時で12%に達しました。台湾は教育面で、中国よりずっと恵まれています。
中国よりもずっと貧しい国、ガーナなどアフリカ諸国でさえ、教育予算の比率はずっと高いのです。
ではなぜ、中国だけに教育の産業化という現象が起こったのでしょうか。他の国は、国がたくさん負担しているので、産業化の必要がありません。中国は逆にこの責任を庶民に押し付けました。公的教育の予算は、教育予算の半分ほどにすぎず、残りの半分は子供の親に負担させています。
実は中国政府自身、ぼったくりの横行を認めています。2004年1月、政府の2つの部門が同時に、小中学校の教育費の違法徴収を調べました。
国家発展改革委員会は「2003年、20億元(約250億円)に上った」と発表。しかし2004年1月、教育省の周大臣は「2003年、8億元(約100億円)だった」だと述べました。同じ件の調査なのに、両者には12億元もの差があります。中国の統計のいいかげんさが分かります。
ただ教育省は当事者なので、こちらの数字の方が、信憑性(しんぴょうせい)が低いでしょう。
では、ぼったくりで得たお金はどこに消えたのでしょうか。このため、中国政府の内部でひと悶着(もんちゃく)ありました。
お金が財政省に行ったのだという声が出ると、財政省はすぐに否定しました。「違法に得たお金を国におさめるはずがない。教育省はきっと豪華な校舎を建て、教師の福利に使ったのだろう」と語りました。
では、中国の「教育の産業化」ですが、ゆがんだ発展を遂げたといってよいですか。
中国の教育産業は、確かにゆがんだ発展をしています。少なくとも、いくつかの指標(しひょう)から、それがうかがえます。
まず、徴収する教育費が、1人当りのGDPに比べて高すぎます。GDPに対する負担の割合を見れば、どれほどの負担かが分かります。
大学を例に挙げましょう。大学の経費は、いくつかの要素から成っています。まずは国の予算。「教育の産業化」の前は、大学は無料でした。生活費だけ負担すればよかったのです。
しかし、国からの補助金は毎年減り続け、2005年には5割にまで減りました。
ふたつ目が学生から徴収する学費です。これが主な収入源。国の補助金が減れば、学費は上がります。
3つ目は、ごくわずかですが学生へのサービス事業です。例えば、学生寮、食堂の利益。これで儲(もう)けようとすると、学生は悲惨なことになります。食費は上がるのに、食事の質は下がる。だから、大学生は4年間、苦労します。
中国政府はよく、アメリカを例に挙げます。アメリカの教育はすでに、収益産業になっているとか、ハーバード大学は毎年、どれくらいの黒字だとか。でも、アメリカの一人当たりGDPはおよそ4万ドル、約340万円。ここから計算すれば、学費が収入に占める割合はわずかに10%。
中国ではどうでしょうか。中国の1人当たりのGDPは2005年、ようやく1000ドルを超えたばかり、つまり8000元強です。中国の学費は学校によって違うものの、毎年10,000元かかると計算するならば、GDPが丸ごと学費で消えます。GDPの100%です。
第2に、中国では収入に対して、学費が高すぎます。大学の学費が1万元だとすると、農村部の住民は平均年収が2000元ほどしかないので、これでは全く払えません。
第3に、中国では貧しい大学生が極めて多いので、学費の高い名門大学は金持ちの子女(しじょ)に独占されるようになります。清華(せいか)大学、北京大学など、これらの大学では、貧しい学生が15%ほどしかいません。貧しい学生は学費を払えないからです。一方、一般の大学では30%が貧しい学生です。
第4に適齢人口のうち、大学進学者の割合が低すぎます。適齢とは18~22歳の間です。国際平均では、適齢人口の19%、先進国だともっと高く、例えばアメリカでは60%以上、中国は2005年で7.8%。割合は上がって来ていますが、中国は依然として低いです。
第5に、中国では識字率が低すぎます。中国の目標も低すぎです。
中国政府の資料によると、成人で文字が読めない人は8500万人。1億人が十分に文字を読めません。中国政府が識字率の目安とするのは、都市住民ならば漢字2000字、農民ならば1500字が読めるという基準です。でも、中国の新聞には通常、5000~8000の漢字が使われています。つまり、2000字程度の漢字では、新聞すら読めないのです。
こんなレベルの教育では、中国のさらなる発展を支えられません。だから、農民が都市に来ても肉体労働にしかつけません。
実は、都市の普通の高卒でさえ、現代化産業にはついていけません。優れた人材を確保するには、もっと多くの若者を進学させるべきです。でも、ここである問題にぶつかります。中国政府は公的教育の予算を増やしたくないから、子供の親に押し付けます。それで、庶民にとって「大きな山」になるのです。
教育の産業化はアメリカでは成功したそうですが、中国ではなぜ、成功しなかったのでしょうか。
「教育の産業化」というスローガンは中国が発明したもので、アメリカにはありません。中国政府はいつも「中国の事情は特殊だ」と言っていますが、教育の産業化になると、途端に「特殊だ」と言わなくなります。
例えばアメリカでは大学の学費は一人当たりのGDPの10%。しかし中国では、100%を超えるのです。
このほか、中国政府が触れない点は、中国には教育の産業化の社会環境が不足している点です。これはつまり、アメリカには多くの奨学金があります。銀行にも、きちんと整った教育ローンがあります。もし学費が大変な家庭があれば、奨学金を申し込めばよいのです。成績の優秀な学生ほど、奨学金の申請も多くなります。奨学金が足りない場合でも、教育ローンがあります。大学卒業後、分割で返せばよいのです。
中国はどうでしょうか。まず、大学生の奨学金が脆弱(ぜいじゃく)です。わずかな民間の企業家が毎年、象徴的に数名に援助するだけです。中国には数百万の大学生がいますから、これではまったく焼け石に水です。
次に中国の学生に貸し出す教育ローンは、制度が未熟です。だから、アメリカと違い、ローンで学業を終える制度がまだないのです。
つまり、中国の教育の産業化政策は、アメリカの大学の「学費徴収」にだけ目をつけたのだと思います。でも中国の社会環境はこれに適しません。しかも、ヨーロッパ、カナダなど無料で公的教育を行う国も視察していません。
だから、中国政府のよく言ういわゆる「中国の特色」というのは、都合よく利用されていると思います。利用すべきだと考えたら、そこだけつまみ食いをしているんです。
今では、一部の中国の銀行も教育ローンを始めました。では……この教育ローンによって、学生の負担は減らせるのでしょうか。
その教育ローンは、「教育の産業化」の掛け声と同時に現れました。しかし、実際にお金を借りるのは非常に大変です。
第1に、競争率が激しいです。例えば、学生が100名申し込んでも、そのうち5~6人しかローンを受けられません。
第2が返済能力。第3が手続きの煩雑(はんざつ)さです。必要な証明書が多くて、とても時間がかかります。ローンの申請に半年かかった学生もいました。
銀行のローンを受けた最初の学生のうち、卒業後、返済している人もいますが、仕事すら見つかっていない人もいるそうです。
高い学費、それでも込み合う大学の入り口
大学入試、それは輝かしい前途を勝ち取るための戦争。
教育の質、教育設備は法外に高い学費に見合うのか。
何清漣(かせいれん)さんの語る「耐えがたい重荷:教育篇」を引き続きお楽しみ下さい。
中国は教育の産業化の結果、学費が急激に上がるという事態が起こりました。しかしそれでも毎年、実に多くの若者が大学の門へと殺到しています。これはなぜでしょうか。
非常に簡単なことです。中国は、労働力がすさまじく、だぶついている国です。毎年2000万余りの人が就職戦線に向かいますが、この際肝心なのが教育レベルです。だから、親は誰しも子供に高収入の良い職業に就いてもらいたいと願います。中産階級に入れるように。
世界を見回しても、貧困人口が多すぎる国はよくありません。しかし中国は、貧困人口が多すぎます。人口の8割以上が貧困層です。
国の貧困対策の軸は通常、貧困人口を減らすことです。それには、まず国民の教育レベルを上げます。大学で学ばせ、中産階級を育てるのです。だから、中国の親はどれほど貧しくても、子どもを大学に入れたがるのです。
中国の貯蓄率は毎年増え、GDPの5割にも上ります。そのうち、庶民の貯蓄の第1位は教育費です。
子供が進学を望みさえすれば、親は生活を切り詰めて何とかして大学に送り出します。だから、どんなに学費が高くても子供を大学に入れたがるのです。
大学入試といえば、毎年さまざまな不正行為が絶えません……。先生は、この現象をどうごらんになりますか。
私は2004年、ちょうど大学入試の「負の連鎖」について文章を書きました。大学入試は本来、国のエリートの選抜試験であるべきで、絶対に公平性を確保しなければなりません。しかしこの点、私は大いに失望しました。
私はよく言うのですが、ある国の現状はその国の政治がきれいかどうかで分かります。また、ある国の未来は、その国の教育を見れば分かります。では教育の入り口、つまり大学入試は腐敗が横行しています。少なくとも3つの腐敗の要素があります。
第1に、政府は2000年頃、毎年高校の5%は、推薦入学になるよう決めました。そもそも推薦入学の対象になるのは、才能豊かな優秀な学生でした。しかし、この推薦入学が今、不正の温床になっています。
湖南(こなん)省のある地域では、推薦入学の対象者はすべて地元の官僚の子弟(してい)だったという事件も起こり、市民の怒りを買いました。
第2に、不人気の学科を利用した金儲けです。林業や鉱業などは、中国で不人気の学科ですが、これらの合格ラインは他と比べて20点くらいは低いです。
他の大学に受からない人は、これを利用します。点数を買うのです。例えば、1点当たり1万元で学校関係者から買います。これも不正の温床となっています。
第3が、学生募集時の不正選抜です。例えば、100人の定員に対し、120人募集します。しかし、20人は振り落とされることになります。ここに、不正の落とし穴があります。
事前に、学生の受験番号や名前を試験官に持っていきます。例えば、ある人は他の人よりも点数が20点高くても、何か理由をつけてその人を振り落とします。しかもこの行為に対し、なんの説明をする必要もなく、不正を追及する制度もありません。
ここ数年、中国の大学入試は不正の温床になっています。最も有名なのが2003年上海交通大学での事件、他にもありましたがみな中国有数の名門大学ですね。
試験官はほとんど、学校の行政幹部や教師です。普段は儲(もう)ける機会がないですから、こういうチャンスを逃しません。でも試験官も見知らぬ地方に行けば、入学希望者を集めるのに苦労します。そこで大学入試のあっせん産業が生まれました。
広西(こうせい)チワン族自治区の状況が新聞に載りましたが、試験会場の外には、多くのあっせん業者がうごめいています。試験官に代わって入学希望者と交渉をするのです。名門大学や人気のある学科ほど、ぼろもうけできます。大学や学科によって値段が違います。
点数売買のシステムは、非常に複雑です。きっと、この種の商売は昔からあるのでしょう。これほど複雑なのは、入試に関する腐敗が1日やそこらで出来たものではないからでしょうね。
ここ数年「計画外募集」が定着してきています。新たな収入源を作るための、一種の裏技です。つまり、合格ラインより低い受験者も取るのです。90年代中期では合格ラインより10%くらい低かったのです。
私が曁南(きなん)大学で教えていた時、付属の経済学院も入学定員以外で10名募集していました。この10名の学費は、自分たちの学科の収入になります。
この10名の学費は、教員の福利の改善や、ボーナスに使われたりします。中国ではこの種のことは、とうに「合法的な腐敗」になっていました。
ところで、中国には昔「科挙(かきょ)」という官僚の登用試験がありました。不正は多かったものの、それが一旦(いったん)発覚(はっかく)すれば、多くの人が処刑されました。清の雍正帝(ようせいてい)の時の腐敗事件では、高官が多数斬首刑になりました。
ええ……ただ、今の中国では腐敗がはびこっていますが、刑務所に入った人は数えるほどしかいません。中国には希望がないんです。大学生は競争の入り口ですでに不平等に直面しています。
中国は経済発展してから、大学が雨後の筍(うごのたけのこ)のように増えました。では、これにより中国の若者は大学に行くチャンスが増えたのでしょうか。
中国は確かにここ数年で、大学生の数が急増しました。2001年の大卒者は115万人、2005年には330万人を超えました。2006年は413万人です。ほぼ4倍になりました。
日本でいう短大や専門学校のような学校さえ、大学に変身したためです。したがって、これは「中国教育の大躍進」だと揶揄(やゆ)されています。
もちろん、これで多くの問題も生まれます。特に深刻なのが、大学の教育の「質」が学費に見合わないことです。
確か……2000年3月、私が浙江(せっこう)省の杭州に講演をしに行った時、ある地元の大学生がこう訴えました。「毎年5000元余りの学費を払っているけれど、学費に見合うようなことを教えてくれていないから、騙されている気がする」というのです。
確かに、昔はチャンスもなかった人や、大学に行く能力に欠けた人も、進学できるようになりました。これはよい一面です。
しかし別の一面も見るべきです。実際、大学の数が増えるのと同時に、「質」が下がっています。多くの大学教育や教育設備、教師の質など、全く追いついていません。だから、教育の質が低いのに、高い学費を取るちぐはぐな現象が生まれたのです。
大学それは中産階級を育てるゆりかご
中産階級の夢はかなうのだろうか
苦しくつらい大学生活の果ての就職戦線とは?
「教育の大躍進」の後に待ち受けるのは
「大学の破産」なのか
何清漣(かせいれん)さんの
耐えがたい重荷教育篇を「透視中国」で引き続きお楽しみ下さい。
先ほど、大学は中産階級を育てるゆりかごだとおっしゃいましたが、確かにこれは公平ですね。特に、貧しい学生にとっては、大学を立身出世のステップに出来ますから。
我々の時代や、80年代後半ですでに、その目的に達していました。90年代の前半も、まだ大丈夫でした。でも、90年代の後半から、この目標は親や学生の期待から遠ざかっていきます。
例えば、2001年から6年連続で、大卒者の就職率が低迷していました。
2001年、卒業の時点で就職が決まっていたのはわずか70%。2002年は60数%に下がり、2003年には50%に落ち込みました。2009年には35.6%にまで下がったそうです。
2004年中国政府は、各企業に対し、就職率が70%に達するよう求めました。地方政府は実現を約束しましたが、結果は就職率40%未満。
政府の資料によると2005年は40数%ですが、中華全国青年聯合(れんごう)会と社会労働保障省の調査では、2005年は33.7%。つまり、約67%の大卒者は仕事にありつけませんでした。仕事もなければ、もちろんいい職業にもつけっこありません。だから、就職率から言えば、中産階級の夢は遠ざかるばかりなのです。
田舎から出てきた学生の多くは、故郷に戻りたがりません。田舎には、公務員くらいしか仕事がないからです。あとは一部の独占企業。水道会社や発電所など。でもこれらに入るには、コネがいります。
では、どんな人が入れるのでしょうか。官僚の子供たちです。ここ数年、地方政府の機関が増殖しているのは、官僚が自分の子を政府機関に入れるからです。
それで大学にそのまま居残ったり、北京などでふらふらしたり、どうしようもない人は「ニート」になったりします。
中国語では親のすねをかじる――「啃老族(カンラオズー)といいます。
中華全国青年聯合(れんごう)会と社会労働保障省の合同調査によると、15歳~29歳までの失業率は、社会平均の6%をはるかに超え、9%に達します。しかも彼らのうち、70%が長期失業者。これは、1年以上も仕事していない人たちのことです。
中国でも、30歳になっても結婚できない人が多いのですが、これは家族どころか自分すら養えないからです。だから、たとえ結婚できたとしても両親の家に住むしかありません。
これは留学生も例外ではありません。そもそも留学生が中国に戻れば、仕事はたくさんありました。でも、今は仕事探しが本当に大変です。
以前はアメリカに留学した人なら、どの大学でも歓迎されましたが、今は名門大学や良い専攻(せんこう)でないと、採用されにくくなりました。
例えばスイス留学なら、毎年、日本円で300万円、4年間で1200万円かかります。なのに、中国に戻っても月給4万円弱の仕事しか見つからないそうです。
つまりこの人は、1200万円も投資したのに、1年で40万円ほどしか回収できません。単純に計算しても、全部回収するのに30年もかかることになります。
2006年、こんな新聞記事がありました。北京のある公営の火葬場(かそうば)が管理人を3人募集すると、なんと1万名以上の人が応募に殺到しました。中には博士や修士(しゅうし)、大学生までいました。
この記事が出ると、社会は騒然としました。あれほど高い学費を払い、子供を大学にまで送ったのに、結局火葬場の職さえ得られないかもしれないのです。だから、多くの大学生の親は嘆きました。
親はなぜ骨身を削り、家の貯蓄を使い果たしてでも、子供を進学させたのでしょうか。それは、大学こそ中流階級へ向かうパスポートだと信じていたからです。
もともと大学を出たら、社会の上流・中流へ登れたはずなのに、今では逆に失業の危機に面しています。これでは社会に対しても、自信を失ってしまいます。
私はかつて、香港のタクシー運転手とこの問題を話したことがあります。彼は広東省出身の方でしたが、香港には希望があると言いました。香港では親が頑張って働いて、子供を大学に送ることさえできれば、子供は上流階級へと上(のぼ)れるからです。
彼のこの話は、すべての人の心を代弁したといえるでしょう。もし大卒者が働き口すら見つからないのなら、上流階級への道は完全に閉ざされてしまいます。人々は失望し、やる気も失います。
上海東方(とうほう)衛星テレビは2007年4月19日、こんな報道をしました。上海と北京の就職市場の模様を伝えています。ここから、厳しい就職戦線の一端がのぞけます。
上海の環境衛生局が30歳以下の清掃員を30名募集。どんな方が応募したのでしょうか。まずはご覧下さい。
60名あまりが清掃員の応募に殺到。ほとんどが20歳前後の専門学校の卒業生で、大卒者もいます。「たとえ清掃員でも『ニート』よりはまし」とのぼやきが聞かれました。
清掃員の応募者
職種の高い低いに関わらず
機会は逃したくないです
清掃員の応募者
労働は尊敬されるべきです
清掃員の応募者
今の大学生は就職に対し
冷静で現実的であるべきです。
次は、北京のスーパー銭湯の職をめぐる、激しい争奪戦です。彼らはどんな職を争っているのでしょうか。どうぞ、ご覧下さい。
周君は北京のある有名大学の3年生。最初は、スーパー銭湯の社長の助手に応募しましたが、まずはあかすりの実習から始めます。
経営者によると、すでに大卒者の応募者は5000名を超えており、修君のようにあかすりから始めてもいいという学生も2000名以上います。
スーパー銭湯の実習生
あかすりも立派な職業です
現場職は精神を鍛えます。
これに対して市民は…
北京市民
市民の見方は色々ですが
私は悪くないと思います。
北京市民
大学生が
あかすりをやらなくても…
どの仕事も同じくかけがえのないものとはいえ、高価な学費を払い、苦しい学業に耐えた大学生とその親は、清掃員やあかすりの仕事につくのが本望(ほんもう)なはずはないでしょう。もっと心配なのは、大卒者でさえこのような仕事を奪うようになったら、学歴のない庶民は一体どうなるのでしょうか。
2004年、当時の教育省の大臣、周済(しゅうさい)氏は、「中国の大学に在学中の学生は2000万人を突破。中国はすでに、世界有数の高等教育大国(たいこく)になった」と発表。しかし、これは20年後、逆に大きなつけを払うことになると案じる声が出ました。
中国・社会科学院が公表した「2007年 中国の経済情勢の分析と予測」によると、2007年中国の都市周辺の求職者は2500万人以上。一方、新たに増えた雇用は、わずかに1000万です。これは、3度目の就職ラッシュが押し寄せているといえます。
1度目の就職ラッシュは文化大革命が終わった直後。多くの若者が下放(かほう)されていた田舎から戻ってきた70年代の末です。2回目は、90年代末、国有企業のリストラの嵐があった頃です。そして今回、大学生が増えすぎて、失業者が激増しました。
大卒者の就職難を受けて、中国政府は大学生の人数に制限をかけるなど、対策はとりましたか。
入学者の定員と市場の需要のつり合いがあうことはないでしょう。なぜなら大学は収入アップのために、入学者の定員を増やすからです。実は、大学の教員はあらゆるインテリの中で、待遇の改善が最も著しい職業です。住まいが良くなり、手当てが増えました。彼らはこの問題を知っていますが、利益を前に入学定員を減らすことはないでしょう。
それでも大学を目指す人がひしめいていますね。やはり、中国の教育は盛んだといえますか。
それも、すぐに変わると思います。これからは教育の質の低い大学は破産するでしょう。例えば、専門学校から大学になった学校などです。これらの大学は定員割れを起こすと思います。
浙江省(せっこうしょう)の温州(おんしゅう)では、すでにそんな兆しが現れました。地元の7割の高校生は大学入試を受けませんでした。彼らは海外の親戚を頼って、アメリカの中華街やフランスの工場にアルバイトをしに行きました。縫製工場の従業員などです。その方が確実にお金を稼げるからです。
大卒でも仕事探しは大変です。地方都市では就職のため、よくコネに頼ります。10万元、日本円で130万ほどの賄賂(わいろ)を使うこともあります。
そういった仕事でも、月給は3000元くらい、4万円弱です。いつになったら、賄賂のもとがとれるのでしょうか。だから今中国には、「勉強無用論(むようろん)」が再び出現しました。勉強するくらいなら、アルバイトをしたほうがいいというのです。
大学の破産ですか。これは初耳ですね。
大学の破産は2005年に意識され始めました。
2000年に始まった教育産業化以来、地方政府はGDPの業績を上げるため、多くの「大学タウン」を造りました。いわゆる大学の集積地(しゅうせきち)です。2007年の時点で31ヶ所、面積は合わせて6000ヘクタールあまりに達します。
実はこれらの「大学タウン」で、すでに深刻な問題が生まれています。例えば、まず大学側は整備や建設のため、銀行から多額のお金を借ります。それから、大学集積地を造る名義で、土地を「囲い込み」ます。
でも、手に入れた土地で実際に大学集積地を造るわけではありません。右肩上がりの土地の値上がりを利用して、土地ころがしで暴利を得る。そんな腐敗が後を絶ちません。
重慶でこんなことがありました。大学は1ヘクタール当たり30万元、約370万円で買い取った後、それをなんと900万元、約1億1000万円で売りました。買い取り価格の30倍で売ったんです……。利益は大学や関わった会社などのお偉いさんが分けてしまいます。だから、これらの31の大学タウンは、建設がなかなか進みません。
2005年、中国の検査部門が4つの都市の(浙江省の杭州、江蘇省の南京、河北省の廊坊市、広東省の珠海市)の9つの大学タウンを調べた結果、深刻な腐敗問題が分かりました。用途違反の土地が多かった点と借金が多額な点。時に借金は1億元、約130億円に上ります。だから、お金が返せないという問題が出てきます。今、大学の学長が顔を合わすと、「お金は返した?」という話題になるそうです。借りた金は返さなくてはいけませんから。
大学の収入の柱は、まず国からの補助金。これはもう増やせません。そして学生からの学費。もうひとつが大学のサービス事業です。
最後のふたつは、学生の人数に左右されます。大学の定員が減れば、誰もお金を払ってくれなくなります。学生の数がある程度固定しているのなら、大学は収入アップのため学費を上げるでしょう。
2006年ワールドカップの試合の当日、四川(しせん)大学では「暴動」がありました。メディアは、この真相を伝えていません。実は、四川大学はもっと学費を取るために、「1単位ごとに100元新たに徴収する」ことにしました。でも、卒業に必要な単位がいくつなのかあいまいだったため、学生は必死に単位を取りました。結果、学生は日本円で4万~20万円も払う羽目になったので、彼らはを怒りを爆発させました。メディアは暴動の原因として、大学がわざと停電にして、ワールドカップの試合を見られないようにしたから、学生が怒ったと伝えました。実は、大学の身勝手な学費徴収が招いたのです。
大学は今後、次の状況に直面します。まず、一部の貧しい人は大学をあきらめるでしょう。
第2に、豊かな地域の若者は大学に行っても前途は開けないと思い、進学をしなくなるでしょう。第3は、大学進学の適齢人口が2008年にピークを迎え、これから減っていきます。この3つのため、中国の大学は拡大を続けられなくなります。でも借金は返さなくてはなりません。収入の減少と借金返済の板ばさみになります。
中国の教育危機その病巣とは何か
中国人は泣き寝入りするのか立ち上がるのか
大山を自ら動かし教育を改革する
何清漣さんの語る 耐えがたい重荷 教育篇 現在放送中です
中国の教育には多くの問題がありますが、解決法はあるのでしょうか。
政府に期待するのは無駄です。なぜでしょうか。政府は、自分を「3つの代表」であると胸を張っています。そのひとつが「人民の利益」の代表です。しかし実際は、自分の利益を代表しているだけです。つまり、自分の利益を最大にし、統治をゆるがぬものにすることが目標なのです。
国を発展させるには、まずは国民の文化レベルを上げ、貧困人口を減らすために教育から手を付けます。しかし中国政府は教育の責任を庶民に押し付けました。極めて無責任な態度です。中国政府にお金がないのでしょうか。いいえ。
中国のGDPは毎年上がり、国の収入も右肩上がりですが、それらはどこに使われるのでしょうか?それは軍事費です。アメリカも、毎年軍事報告書で、中国の軍事費拡大を指摘しています。
中国は目下、戦争の危険がないのに、軍事力を増大させています。庶民のために……つまり、人々の教育レベルと生活レベルを上げるのが先だと思います。
第2に、オリンピックの金メダル獲得のための予算。例えば、金メダル1個を取るために、日本円で約4億~10億円をつぎこむそうです。これは報奨金や選手の日常の出費は含みません。訓練費用のみです。
中国は確かに金メダル大国(たいこく)ですが、スポーツ大国ではありません。庶民が使えるスポーツ施設があまりにも少なすぎるからです。
だから中国の子供がアメリカに行くと、体育の成績がアメリカの子よりかなり悪いそうです。つまり、中国は金メダル大国ですが、スポーツ後進国です。
私は、ごく一握(ひとにぎ)りの選手に使うお金をもっと、庶民の体育レベルをあげる事業や学校のスポーツ施設に振り分けるべきだと思います。
第3に、不必要な対外援助。鄧小平は改革開放の当初、「今後は第三世界に対して主に、道義的な援助をする」と述べました。つまり、もう見栄を張らないということです。
しかし江沢民の統治の後半からまた逆戻りで、アフリカ諸国に、豪華な体育施設を建設しました。
また、カンボジアにも数億ドルを援助しましたが、そのほとんどは、カンボジア人には使われませんでした。例えば、4900万ドルで建てられた政府ビル。これが庶民の役に立ちますか。
問題のカギはやはり、中国の政治体制です。この政治体制は「民主主義」ではなく、「強権体制」です。この政治集団が全てを決めるのです。
彼らは自分の利益だけを考えて、ほとんど人民の利益に気を払いません。中国の教育が、今これほどいびつなのは、長年政府が人民に対して無責任だったからです。
かつての北京大学の学長は、「教育を軽んじる指導者は、永遠の罪びとになる」と教育の充実を訴えました。
一方、今の大学の学長は違います。みな共産党の幹部、つまり政治への忠誠心が第一の人たちですから。
しかも、学術界の腐敗も目を見張るものがあります。これは国の恥です。しかし政府は政権の安定に関係しないものには、すべて目をつぶります。
中国は必死に、小中学生にマルクス主義を教えています。「江沢民理論」「鄧小平理論」などです。これらは将来の世代に政府への信頼感を持たせるためですが、社会に一歩入れば、それらの嘘にすぐ気づくはずです。
この政府は教育改革を実行するのでしょうか。人民の真の豊かな生活を目指し努力するのでしょうか。これは全くありえないと思います。
中国のこのような教育の現状に対して、庶民は…泣き寝入りするしかないのでしょうか。
確かに今はやられっぱなしです。教育は今完全に、売り手市場ですから。例えば、入学者の定員、合格ライン、点数の買収金額もすべて大学側が決定権を握っています。
このようなやり方は法律に違反していますが、売り手は依然として優位な立場にいます。だから庶民は相手のいうままになるのです。やはり、これは…一種の体制の問題だと思います。
中国は数百年来、政府や大企業そして利益集団から社会が成り立っていました。政府などが巨大な石だとすると、庶民はバラバラの砂のような物です。砂は一粒では巨大な石にかないませんが、砂も固まれば対抗できるのです。
つまり、自分の組織を作って、自分の利益を訴えるのです。アメリカの労働者は、それぞれ労働組合を通じて、国会でロビー活動を行えます。議員とのやり取りの過程で、自分の利益を国会に反映させ、アメリカの法律に書き込ませます。政治とは利益のバランスを取る、一種の駆け引きなのです。だから選挙になると、議員はみんな、有権者の願いを満足させるような要求を持ち出すのです。給料アップとか失業率低下とか。
中国は選挙で選ばれた政府ではありませんから、基本的に庶民の要求を考慮に入れません。そのうえ、庶民が組織しようとすると、それを自らの脅威と見なします。
たとえ脅威が全くなくても、政府が恐れを感じさえすれば、有無(うむ)を言わさずに弾圧をします。例えば法輪功。政治的目的もなかったのですが、民衆の集結に脅威を感じると、弾圧をするのです。
中国の庶民は、民主活動家も含めて、みな個人の権利は政治と無関係のものだと見ます。例えば、就職や医療、土地などの経済権益。しかし、それは間違いなのです。
これらの権利を使うには、政治の権利が必要ですが、最も大切なのは言論の自由、集会の自由、結社の自由です。
言論の自由がなければ、自分の願いを伝えられません。結社(けっしゃ)の自由がなければ組織の力で政府と駆け引きが出来ません。集会の自由がなければ、組織してデモをすることが出来ません。街頭(がいとう)、または他の方法で自分の利益を主張することも出来ません。
だから、もし政治の自由がなければ、自分の権利を守れません。例えば、土地を守るための抗争を、政府は「暴動」だと決め付け、ネット上の発言も「国の安全を脅かした」と言います。
中国の一部の民主活動家は、政府の弾圧を避けるため、「政治権利は要らない」「政治とは無関係だ」と言いますが、中国政府にとっては、はっきりとした境目(さかいめ)などありません。個人の権利を守る戦いは、最後、公権力を得るための抗争に発展します。
例えば、ガンジーの非暴力運動。当初の要求は、民族の平等でしたが、最後には民主化のうねりへと発展しました。あと、南アフリカのアパルトヘイトも同様です。
中国政府は、この点を痛いほど分かっています。最後には参政権運動に発展するのを分かっているので、政府はこれを許すはずがありません。
改革を続けていけば、経済発展を通じて政治の民主化も実現できるという人は少なくありません。でも実際、中国政府は言論の締め付けを強めています。
そのうえ最近また、社会の動乱を許可なく報道した場合、罰金刑など刑事罰に処するという法案さえ出てきました。
中国政府は、庶民の抵抗を抑えるため、90年代から3つの罪名を加えました。国家安全危害罪、国家機密漏洩(きみつろうえい)罪、政府転覆陰謀(てんぷくいんぼう)罪です。
つまり、いつでも勝手に罪名を作れます。実際、何の機密を漏らしていなくても、「機密漏洩罪」の罪名が付けられるのです。
これらは、文化大革命の時の反革命罪と同じで、反対の声を抑え付ける伝家(でんか)の宝刀(ほうとう)です。だから、個人の権利を得るにはまず、政治の自由から踏み出すべきです。
私は、中国には政治の民主化しかないと思っています。選挙で政府を選んで、政府に庶民の利益を考えさせるのです。もし庶民の利益を無視すれば、選挙で政府を退陣させる。だから、中国の教育を根本から変えるには、政治の民主化が前提になります。
中国では、教育界の不祥事が絶えません。例えば、大学の学術分野に広がる腐敗や科学研究の詐欺行為、虚偽の就職率、巨額を投じて作った大学の校門などの問題があるそうです。
中国の教育の腐敗ぶりには、目を覆いたくなります。清華大学で大学院生を指導する陳丹青(ちんたんせい)教授は、4年連続で満足のいく学生を取れなかったそうです。
陳教授は「今の芸術分野の教育は、見た目は華やかだ。しかし、実際は利益を追求するために、入学者の定員を増やすなど後退している」と述べました。つまり、今の教育体制は形式主義にとらわれ、本物の優れた人間を育てられていないと指摘したのです。
何清漣さんはかつて「中国の今の教育は、教育の3つの基本的機能を破壊した」と指摘。社会の平等を促進する機能、若者の道徳心を育てる機能、社会を上流へと向かわせる機能です。
教育制度が失敗すれば、優れた人材は育てられない。中国が本当に台頭し、国際社会で責任感のあるメンバーになるには、今の政府の改善のほかに、国の担い手――立派な次の世代を育てることこそが大切だと指摘しました。
最後に、ネットに投稿された言葉を紹介します。「教育は産業ではない、それは民族の未来に関わる事業である。教育は庶民の消費ではない。それは国と政府の責任である。教育は金持ちのぜいたく品ではない。それは国民の最も基本的な人権である」
今回の「透視中国」はここで終わります。これからも、庶民の目線に立つ何清漣さんの分かりやすい解説番組をお届けいたします。長い時間、ありがとうございました。