【新唐人日本2010年12月20日付ニュース】皆様こんにちは。“透視中国”の時間です。前回の“透視中国”では、何清漣さんの著書、“中国現代化の落とし穴”の主な内容をご紹介しました。この大きな反響を呼んだ本の出版から5年後、改訂版の“中国現代化の落とし穴”が2003年9月、アメリカの博大出版社から出されました。
【司会者】作者は前回、タブーを一切取り払い、最新の資料とその分析によって、さらに説得力を持たせました。注目に値するのは、“改訂版”には、作者が中国国外に逃れてから、改めて考えたものを書き加えた点です。本日の“透視中国”では、何清漣さんに“中国現代化の落とし穴”の改正版について、詳しくうかがっていきます。
【何清漣】改訂版で序文とあとがきを改めて書き直したほか、第11章を加えました。この3つの部分は、中国の改革開放に対する、私の様々な理論と考え方を表しています。この本の出版後に起きた、重大変化なども、本の中で触れています。
また、どの章にも、98年以降のいくらかの変化を書き加えました。特にマフィアや地下経済、国有企業についてです。多くの内容を加えたと同時に、もともとあった資料を一部削除しました。全体の量は変わらずに、3分の1以上の内容を新しくしました。
【司会者】第11章を加えたということですが、その内容とは?
【何清漣】第11章は、有名な“当代中国社会の構造変化の全体的分析”です。主に、社会の階層分化を分析したほか、改革後の新たなランク付けにおいて、それぞれの階層がどんな地位にあるのかも書きました。
あの文章を雑誌に載せてくれた出版社の編集長は“今、みんな何さんの文章を参考に、自分がどの階級に属しているのか確認していますよ”と冗談半分で言いました。政治エリート、経済エリート、知識エリートのほか、自分もいい思いをしようとする中産階級、非主流化した労働者・農民を述べたのです。
【司会者】非主流化とはどういうものでしょうか。
【何清漣】社会でまともな位置を確保しようと思ったら、少なくともいくつかのものが必要です。まともな仕事、そしてまともな正常な収入です。面子を失わない程度に暮らすだけの収入を確保することです。
非主流化というのは、徐々に社会の構造から置き去りにされて、仕事すら失ってしまう人のことです。例えば“三無人員”と呼ばれる農民。都市に来ても居場所がありません。いわゆる“三無人員”というのは、中国政府が決めた1つの概念です。合法的な身分、定職、決まった住所がないのです。
この3つすらなければ、社会では、生きる条件すらないのと同じです。労働者に仕事がなく、スラム街のようなところに住み、子供たちに必要な教育を受けさせる力すらありません。
中国は現代化の列車のようなもので、政治エリートは、この列車が進むのを導きます。経済エリートと知識エリートはこの列車のグリーン車に乗っています。中産階級は比較的よい普通車に乗り、社会の底辺でも仕事があればこの列車に乗れます。“三無人員”は乗車すらできず、場合によっては置き去りにされて、もう追いつけません。彼らは、社会全体の発展と無関係なのです。
毛沢東時代、中国は労働者階級がリードする形で、労農連盟を基礎とした無産階級の独裁国家でした。でも当時、労働者の政治的地位が高いといっても、名誉だけのものでした。その後、江沢民などは修正した理論、“三つの代表”を打ち出しました。
上海のある大企業の経営者はこんな話しをしました。“政府は、最も多くの人民の利益を代表すると長年言っているものの、これまで実現したためしはない。それでも言い続けるのは、道徳の役目があるからだろう。少なくとも、そういう旗印が必要だから。肝心なのは、誰が進んだ生産力の代表で、進んだ文化の代表なのか。それは我々にほかならない”
つまり、労働者や農民が進んだ生産力の代表にはなれるはずがなく、先進文化の担い手にもなれないと言ったのです。テレビや新聞で発言力も持つのは、政府以外に、経済エリートと彼らの利益を代表する知識エリートたちだというのです。
【司会者】つまり、中国政府の政策は、政治エリートや経済エリート寄りのものになっている。労働者や農民寄りではない、ということですか。
【何清漣】基本的にはそうです。中国の改革解放が、89年に共産党の理想主義改革を捨ててから、ある特徴があからさまに現れてきました。政治エリート集団は、さまざまな措置で、強者集団寄りの政策をするようになりました。彼らにとって有利な政策です。中国はこの面がますますはっきりしてきました。例えば、自動車や不動産政策。情報化産業も含みます。強者集団に有利な政策であれば、すぐに法案が出て、決定されます。
でも、庶民にとって有利な政策はなかなか進みません。93年のマクロ政策の前は、政府は権利を委譲して利益を社会に還元しました。その中で、多くの利益を得た集団もいました。
93年以降、政府は庶民から権利を奪い返します。いわゆる住宅改革、医療保険改革、養老保険改革。どれも庶民に負担させています。近代史で苦難を与えた庶民から、再びお金を奪い取ったのです。
中国の改革ですが、その実践と結果から次のことがいえると思います。権力者集団が自身の権力を利用して国有財産を奪い取る過程、それが中国の改革です。
【司会者】貧富の格差は、どの社会でも避けがたいものだという指摘もあります。アメリカにも格差はありますし。でも、貧富の格差を強調しすぎれば、あるいは、格差の解消を強調しすぎれば、昔の社会主義の状態に戻ってしまうとの声もあります。つまり、ゆがんだ平等主義です。
【何清漣】これは、1つの問題だけを強調しています。どの社会にも貧富の格差はあると。確かに合理的な貧富の格差なら容認すべきです。でも同時に大切なのは、社会全体の貧しい人への救済システムです。貧民がどれほど貧しいかが、社会にとってきわめて重要なのです。
アメリカに来て分かったのですが、アメリカの貧しい人の生活はそれほど大変ではありません。政府の食料切符で、基本的な食品は確保されています。ほかに、子供が多い家庭には手当が出ますから、子供が多くてもそれほど暮らしに苦労しません。
一方、中国は社会保障制度自体がまだ整備されておらず、失業保険や社会の救済もないため、貧しい方はとことん貧しいのです。一旦失業して仕事が見つからなければ、衣食にすら困るでしょう。この点、アメリカとまったく違います。
第二に、アメリカの貧富の格差は200年余りの市場競争のシステムを経て、作られてきました。アメリカで貧富の差を分けるのは、人の才能や能力などといった要素です。しかし、出発点は平等です。しかも、政府の公立学校の学費は無料で、貧しい子も大学に進学できます。学費が払えなければ、補助や奨学金を申請できます。
中国にはこのような制度がありません。つまり、貧しい人たちを守る制度がないのです。しかも中国の貧富の格差は、合理的な市場競争ではなく、出発点が不平等なため生まれました。権力者集団がその権力を利用して、わずか20数年の間に人民の富を奪いました。
中国の国有資産は、どう形成されたのでしょうか。庶民が消費を控え、たくさん貯蓄する中で生まれたのです。でも改革によって、彼らは再度略奪され、築いたものを失いました。現在、政府は彼らにもっとお金を出すよう求めています。貧富の格差ですが、見た目は中国と欧米は一緒でも、貧富の格差が出来た原因、格差が招いた結果、そして社会保障制度、救助システムなど、これらはみなまったく違います。
私は“改訂版”で、“あとがき”を書き直しました。“あとがき”のタイトルは、“中国の改革で得たものと失ったもの”です。その中で私がずばり指摘したのは、政治エリート、経済エリート、知識エリートたちが改革の恩恵を受けたという点です。多くの底辺の人々、特に、労働者と農民この二大集団は、実のところ、利益を剥奪された被害者なのです。
【司会者】鄧小平氏の“先富論”
については、どうお考えになりますか。
【何清漣】私は今、改革についてこう考えています。もともと改革に対して、私たちはずっとある種の幻想を抱いていました。改革で、共産党のうたう目標に到達できると。つまり、少数の人に先に豊かになってもらい、彼らに国全体を引っ張ってもらう。
中国を出てからこの2年間、比較政治学の本をいくらか読みましたが。中では多くの強権国家、つまり発展途上国のモデル転換問題を分析しています。後に気づいたのですが、“先富論”はほとんどすべての強権国家の特徴です。ただし中国には2つの特徴があります。1つは、この政権は戦争を通じ樹立されたこと。戦争で樹立した政権はいくつかの能力を備えます。1つは、社会資源を動員する能力です。
二点目が、社会を全面的にコントロールする能力です。中国共産党政権のこの方面の能力は、世界のどの政権よりも勝っています。その結果、強権政治が市場化へ向かう中で、改革は必然的にエリート集団が可能な限り自分の利益を満足させるものになります。この種の上から下への改革で庶民の求めるものを真に満足させられるのでしょうか。そう考えるのなら、それは強権政治の特徴を分かっていないということになります。
【司会者】本でご指摘になった中国の改革の多くの問題について、どんな解決方法があると思われますか。
【何清漣】中国のこれほど複雑な問題を解決する方法ですが、誰もまったくお手上げでしょう。でも、少なくとも今、まだ1つ可能性があります。それは政治体制改革です。
本で述べているように、すべての問題は経済の領域で起きていますが、その源は政治の領域にあります。中国の今、唯一の道とは、政治体制の改革です。
しかし政治制度改革にはまだ2つの問題があります。1898年、清朝は戊戌の変法という上からの政治改革を行いました。でも、1905年には形勢が変わり、通用しなくなっていました。これを改革の時間コストと言います。
だから改革は早いほうがよいのです。先延ばしにすればするほど、政治体制改革の効果が小さくなって、果たす作用も弱まります。第二に、政治体制改革は確かに中国のすべての問題を解決できはしません。ただし、可能性をもたらすはずです。
当時、西太后が戊戌の変法という改革を拒んだ理由の1つは“民智未開”でした。現代語に訳せば、庶民の教養が足りないという意味です。でも西太后らはある点を軽視しました。民主化とは学びの過程なのです。実践の過程なのです。
机上の空論にとどまっていてはいけません。中国の庶民の知的レベルは、数百年前アメリカが開国したときの移民よりもずっと劣っていることはないでしょう。だから、民主化を通じて人々に実践の中で学ばせるほうが、永遠に民主化させないよりも、ずっといいと思います。
中国政府はなぜ、政治体制改革を望まないのでしょうか。中国では、90年代、こんな言葉がはやりました。“腐敗に反対すれば党が滅び、腐敗に反対しなければ国が滅びる”。中国では、上から下まで腐敗していない官僚はいくらもいません。腐敗に反対しなければ国が滅びるというのは、共産党のこのような統治では、国に未来がないということなのです。
【司会者】取材の中で何清漣さんは、“中国現代化の落とし穴”の本は、自身の運命を変えたと語りました。では、次回の“透視中国”では、何清漣さんの半生をご紹介します。“中国を逃(のが)れて”です。皆様、お楽しみに。本日の番組はここまでです。ありがとうございました。次回またお会いしましょう。
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