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「清華大学の物語」第2話 芳草碧天に連なる【世事関心】

2016年12月18日

【新唐人2016年12月18日】

最も深い暗闇の中で

私達は星の光です

いつか夜明けが来たら

私達は1つ光輝く物語を贈りたいです

それは、

私達の物語です

 

1993年12月、旧正月まであと一か月という頃、北京市内のあちらこちらが興奮の渦に包まれていました。国際展示場で開かれている東方健康博覧会で不思議なことが起きている、との噂が人から人へ伝わっていました。

 

法輪功のボランティア:「健康博覧会では法輪功が大盛況でした。ほかのブースはガラガラでしたが、法輪功のブースには七百人近くもの人が集まりました。開場と共に、多くの人がこちらに走ってきて、三列に並びました。一列目は午前中の受付番号をもらうため、二列目は午後の受付番号をもらうため、最後の一列は先生にサインをもらうためです。」

 

博覧会では、法輪功創始者である李洪志先生の奇跡の病気治療が注目を集めました。博覧会の最高賞「境界科学進歩賞」と「団体賞金賞」を受賞し、李洪志先生にも「最も愛される気功師」の称号が贈られました。法輪功の病気治療の著しい効果が北京で広く知られるようになりました。

 

気功愛好家である虞超の母親は博覧会のチケットを2枚手に入れ、どうしても虞超を連れて行きたいと誘いましたが、虞超は乗り気ではありませんでした。

 

虞超(ぐ ちょう)(清華大学精密機器学部1995年卒業):「またかという感じでした。この講座、あの講座と、いったい何回目だと。その前にも母に連れられて気功講座を聞きに行ったのですが、吐き気を催して、帰ってから母と喧嘩になったこともありました。」

 

虞超の気持ちもわかります。当時、中国は気功ブームでいろいろな気功団体があって、良いものも良くないものも玉石混交の状態でした。そのため気功に関わりたくないと思う人も多くいました。しかし、結局、虞超は母親と博覧会へ行くことになり、会場に入った瞬間に、ここが他とは違うことに気がつきました。

 

虞超(ぐ ちょう)(清華大学精密機器学部1995年卒業):「その時の私は場所取りするのが習慣になっていました。母と、別々の扉から入っていい席を取ろうと相談していたら、後ろの人が『何という心性だろうか』と話す声が聞こえ、はっとしたのです。『心性』という言葉に好感を持ちました。『心性』についての話なのだろうか、と興味を持ちました。この時の感覚は今でも覚えています。」

 

虞超がこの日聞いたのは、博覧会最終日の李洪志先生の講演でした。それを聞いてこのような心境になるなど考えもしませんでした。

 

虞超(ぐ ちょう)(清華大学精密機器学部1995年卒業):「なぜなら、先生が言っていることは、自分が2、3歳の時から心を囚われ、21歳のその時までずっと知りたかったことの全てだったからです。人はなぜ生きるのか、苦しみや痛みはどこからくるのか、それらはどのように生まれたのか、どのように消していくのか。病気になる原因、人が生きていく本当の意味などについての講義を聴いていると、21年間黒い布で隠されていた自分の目に光が差し込んできたように感じました。その布が取り去られ、光が何なのかを知りました。これが本物だ、これこそ本物だと繰り返し自分に言い聞かせました。その日、自分は生まれ変わったと感じました。」

 

その日、興奮冷めやらない虞超は、さらに思いがけない出来事に合いました。

 

虞超(ぐ ちょう)(清華大学精密機器学部1995年卒業):「母が大声で私の名前を呼ぶのを聞いて、トイレにいる私はすぐに分かりました。先生が来たと。先生に会いたかったから、大慌てでベルトを締めながらトイレから出て来ました。母が指さした先、先生が何人かと二階を歩いていました。螺旋階段を上がった先でしたが、あまりに慌てていたので、2、3周ぐるぐる回っても階段の上がり口が見つかりませんでした。やっと上がり口を見つけ2、3歩で駆けあがり、先生のそばに駆け寄って言いました。『先生が先ほど私たちに、争ってはならない、執着してはならない、と言いましたが、これは今まで先生や親が言っていたことと正反対です。私は先生が言っていることが正しいと思う。でも、なぜ正しいのか、どこが正しいのかが分かりません。もっと教えていただけませんか。』先生は私をじっくり見て、右手で私の服を整えてくれました。その時着ていたのはコーデュロイの灰色の上着で、二番目の姉が買ってくれたものでした。お気に入りだったので、もうずいぶん長く着ていました。今でもはっきりを覚えています。その時、先生は私の左の襟を右手で整え、『私の講義を聞いてください。』とただ一言言ったのです。私はかなりのひねくれ者で、東に行けと言われれば西に行く、相手に意地を張られると自分はもっと意地を張るような人間でした。その時、今まで考えられないことが起きました。私の自己中心的な考えや傲慢さが、氷山が崩れてゆくように音を立てて溶けてゆきました。私は『はい』と深く頷きました。」

 

虞超はあの時なぜ先生が自分をじっくり見ていたのか、襟を整えてくれたのかが分かりません。二言三言言葉を交わしただけでしたが、その時の情景がしっかりと虞超の心に刻まれました。

 

当時、法輪功は1年も経たないうちに中国全土に広まり、多くの中国人が知らず知らずのうちに法輪功と何らかの関わりをもつようになっていました。今思えば不思議なことでした。1992年5月から1994年12月末までの2年半で、李洪志先生は中国国内での教えを終えました。李先生の講義を直接聞いた人は2万人もありません。しかし、1995年に李先生が中国を離れフランス行きの飛行機に乗った時、すでに中国の大地には法輪功が広く伝わっていました。

 

早朝、中国の無数の公園や広場、大学のキャンパス、団地などで、法輪功の音楽が響き、人々が緩やかな動きで、気功を練習していました。夜、家々に灯る明かりの下では、大勢の人が『転法輪』という本を読んでいました。法輪功を修煉している人は、字が読めない農村の女性もいれば、エリート知識層や政府の官僚もいて、わずか7年の間に中国のすべての階層に広まりました。無神論の下で半世紀も統治されてきた国で、法輪功は拒むことができない力を持って、さまざまな背景を持つ中国人の心に浸透していきました。その感覚は虞超が李洪志先生と初めて会った時と同じで、一切説明する必要はなく、完全な信頼があるようです。

 

蕭晴(しょう せい)清華大学精密機器学部1999年修士学位取得:「私は先生が『転法輪』の中で話している「真善忍」は宇宙の最高特性だと信じています。この言葉は私の脳裏に深く刻まれました。この特性に従わないなら、それはすべて間違っていることで、逆にもしその特性に従っているなら、どれほど難しいことであってもそれが正しいことだと思います。」

 

孟軍(もう ぐん)清華大学電子工程学部元教師:「大きな衝撃を受けました。宇宙の真実を知り、人生の真意が分かったと感じ、法輪功の修煉者となることを決心しました。」

 

劉文宇(りゅう ぶんう)清華大学熱工学学部1999年博士課程:「『転法輪』の中の『人は本来の姿に回帰しなければならない。真善忍に従って修煉し、生命の境地を高めることが生きる意味である』との言葉に出会った時の震撼は、二言三言で話せるものではありません。」

 

須寅(しゅ えん)清華大学の元副教授:「学生の張連軍が私の研究室を訪ねて来た時、彼は案の定ひどく落ち込んでいました。私は『転法輪』を彼にあげました。とりあえずこの本を読んだ後に、学校をやめるかどうか決めたらどうか、と勧めたのです。次の日に彼から電話がかかってきました。その声はまるで別人のように興奮気味でした。『学校をやめますか』と聞くと、『先生はどう思いますか』と逆に聞かれたので、『もちろん、やめないでしょう』と言いました。すると彼も、『私もそう思います』と言った。」

 

自然の流れのように、清華大学の学生たちの中にも法輪功が広まり始めました。初めは拒絶していた人たちにも、次のチャンスが待っていました。

 

彼の名は謝衛国(しゃ えいこう)。清華大学化学工業学部に1991年に入学した学生です。成績優秀の彼は大学が選んだ300人の教育実験生の1人でした。当時、高春満(こう しゅんまん)教授は彼に法輪功を進めましたが、哲学や科学の本を沢山読んでいた謝衛国は自分の考えを持っていました。

 

謝衛国(しゃ えいこう)清華大学原子力研究所1999年修士学位取得:「私は哲学や科学の角度から高教授と弁論しました。初めて法輪功の話を聞いた時は、全く受け入れることはできませんでした。」

 

実際、謝衛国の学友の中で気功を信じられない人は他にもいます。1995年、初めて法輪功の紹介を見た王為宇も激しく反発しました。

 

王為宇(おう いう)清華大学精密機器学部1996年博士課程:「当時私の頭の中では宗教や迷信、気功や修練といったものはすべてごちゃ混ぜでした。何が宗教で何が修煉なのかを知らず、全部迷信だと決め付けていました。初めて清華大学で『法輪常転、仏法無辺』と書かれた法輪功の旗を見たとき、怒りがどこからか込み上げてきました。何なんだこれは、こんな迷信が堂々とこの清華大学に入ってくるなどとは、どういう事だ。」

 

物事は常に人の想像を超えます。謝衛国は高春満教授と弁論した後、法輪功のことを忘れられず、しばらくしてまた高教授と話し合いました。

 

謝衛国(しゃ えいこう)清華大学原子力研究所1999年修士学位取得:「高教授は私に法輪功の真善忍の法理や法輪功の修煉や功法について話し始めました。静かに聞いていたら、自分の両足に沿ってゆっくりとエネルギーが流れるのを感じました。信じられないほど不思議な体験で、科学では説明がつかないことでした。私は法輪功を修煉したいと高教授に言いました。」

 

不思議なことは謝衛国の身に起こっただけではありません。彼は高教授の身に起きた奇跡も目撃しました。

 

謝衛国(しゃ えいこう)清華大学原子力研究所1999年修士学位取得:「高教授はヘビースモーカーで、先生が実験室にいなかったら、必ず回廊の端で煙草を吸っていました。なのに法輪功を修煉し始めたら、先生はたばこを吸わなくなりました。」

 

1997年、王為宇はある教師の影響を受け、気功への見方をすっかり変えることになりました。

 

王為宇(おう いう)清華大学精密機器学部1996年博士課程:「先生はいろいろな種類の気功が好きで、修練している時にさまざまな超常現象を体験していました。先生は私にそれらのことをよく話し、私もその話を聞くのが好きでした。私は元々こうした現象を否定しません。それが間違っていることを証明できないのなら、一方的にレッテルを貼って判断しないことが、真の科学者としてあるべき態度だと思っています。先生の言っていることは本当だと思いました。先生が誠実に話していることは分かります。多くのことは科学的には可能性があり、解釈ができるものです。」

 

ある日王為宇はこの先生から『転法輪』を紹介され、王為宇は興味本位でこの本を手に取りました。

 

王為宇(おう いう)清華大学精密機器学部1996年博士課程:「昼寝する時には、早く眠りにつくために本を読むことにしていました。いつものようにベッドで横になって、本をぱらぱらとめくっていたら、ショックを受けました。この本は普通の気功の本ではない、始めから、自分は何をしに来たのかをはっきりと教えています。しかも、少しもぶれることがない。非常に正しいです。私の心の中に浸み込んできたのです。今まで、分からなかったこと、解決したかったこと、知りたかったことが1つ1つ解決していきました。この本は大変なもので、最も印象を受けた言葉は『内に向かって探す』という一文でした。何かあったら、人とトラブルが起きたら、たとえ自分が不当な扱いを受けたとしても、内に向かって探しなさいというのです。これは本当に素晴らしいです。私は座って読んでいられなくなり、思わず立ち上がってその本を読み進めました。第二章は天目(天目とは何ですか?)の話でした。子供の時に悩まされていたことが解決できて、もう立っていられなくなり、今度は歩き出しました。歩きながら読み続け、3時間でこの本を読み終えました。これは宝物だと確信しました。」

 

1999年の4月には、清華大学の中にある煉功の場所は11か所に上り、朝も夜も夜中も煉功している人がいました。学生たちは雑木林で煉功し、多い時は1カ所に七、八十人も集まっていました。清華大学の修煉者は少なくとも六、七百人いました。これらの誇り高き若者が、新しい領域に入って探究し続けています。彼らもまた、中国全国の修煉者と同じく、修煉し始めた時には喜びと健康、それから生命の安堵を得るようになってゆきました。

 

孟軍(もう ぐん)清華大学電子工程学部元教師:「本を4回読んだ後、体の浄化が始まりました。あの日私は自転車に乗って学校に帰る途中で体が重くなりました。風邪を引いた感じに似ていましたが、私は先生が私の体を浄化し始めたのだと知っていました。だから気にせずベッドで2日休みました。すると、体が軽くなり、とてもすっきりして、不快感は吹き飛ばされました。」

 

劉文宇(りゅう ぶんう)清華大学熱工学学部1999年博士課程:「修煉を始める前、私は重度の不眠症でした。修煉後2週間足らずで、横になるとすぐ寝つくようになりました。1か月後、自分が不眠症だったことを思い出しました。」

 

兪平(ゆ へい)清華大学熱工学学部1997年博士課程:「その後1週間ぐらいでしょうか。下痢が始まりました。だけどいつもと違い、体に不快感がありません。何日か後、体が軽くなって、疲れを感じないようになりました。」

 

 

謝衛国(しゃ えいこう)清華大学原子力研究所1999年修士学位取得:「前は皆から、肩がハンガーのようにコチコチにせり上がっていると言われていたけれど、修煉を始めたら治りました。」

 

記者:「なぜそんな固くになっていたのですか。」

 

謝衛国(しゃ えいこう)清華大学原子力研究所1999年修士学位取得:「緊張しすぎていたからかな。いつも上がっていたんだけど、今は下りたよ。本当に下りました。」

 

しかし、ここは清華大学、科学の殿堂です。これらの優秀な理系の学生たちは、ほかの練功者と同様、身心の浄化を受けたほか、その原因と修煉の真実について深く思考せずにはいられませんでした。科学は宇宙の真理を探究するための唯一の方法であると、長い間思われてきました。

 

近代科学は2、3百年の間でいくつかの理論を確立し、人類にとって永遠の疑問だと思われていた問題も解決したと考えられています。例えば、宇宙大爆発に基づく天体物理学によって宇宙の始まりを解釈し、進化論によって生命の始まりを解釈し、ニュートンの力学によって物質の運動を解釈してきました。

 

しかし一方で時間が経つにつれ、多くの人が宇宙や生命への認識に関して科学には限界があることにも気が付きました。

 

王為宇(おう いう)清華大学精密機器学部1996年博士課程:「現代科学は観測と実験を基礎に、数学的ロジックを言語としてその体系を作っています。要するに、観測、実験と数学的ロジックが現代科学の3つの礎と言えます。しかしこの3つとも限界があります。数学的ロジックに関しては、その限界についての研究がかなりあります。観測では、観測に使う道具や人間の目などの限界によって、現実世界に対し多くの誤解を招いていました。人の目がものを見えるのは可視波によるものです。400ナノメートルから700ナノメートルの光波が分子によって構成されて世界にぶつかり目に反射した結果、私達の目の黄斑(霊長類の眼球の網膜中央部の黄色みを帯びている部分。中央は少しへこんでいて,視力および色の識別能力が最も鋭敏な部分。)と言う場所に到達し、それから信号として脳に伝えられ映像が形成されます。もし、人が可視波よりも小さな光波が突然見えるようになったら、この光波は分子構造を通過する性質があるということです。それによって分子の世界は見えなくなり、分子よりさらに小さな粒子にぶつかって反射され、人の目に入ると、人の目は非常に小さい粒子構造の世界が見えるようになります。それでさっきまで見えていた分子の世界は煙のように消え、異なる空間と時空が見えるようになります。」

 

科学が宇宙の真理を知るための1つの手段であるなら、その欠陥は大きいです。科学で説明できず、科学が触れようとしない修煉について、その過程で現れる不思議な現象や病気治癒などの特別な効果はどう説明すればいいのでしょうか。もっと重要なのは、信仰や修煉の最終目的は何なのかという問題です。

 

季節が巡り、清華大学の練功場で座禅を組んでいる学生達は、知らず知らずのうちに変化していました。最初のころ、足を組むと痛くて顔をしかめたり、あちこちに気が取られて集中できなかったり、夏場では蚊を叩く音が上がったりしていました。それが少しずつ30分我慢ができ、それから1時間我慢ができるようになってゆきました。顔が穏やかになって落ち着きが出てきました。冬に風邪をひかなくなり、春には鼻炎がなくなり、一緒に本を読んで交流する時には、目が清く澄み、心からの喜びを浮かべるようになってきました。

 

劉文宇(りゅう ぶんう)清華大学熱工学学部1999年博士課程:「人は皆自分のことが好きです。とくに清華大学の学生はエリート中のエリートで、自信満々で、自分が人に及ばないなど考えもしなかった。法輪功を修煉してから、私たちは集まればともに勉強し、座談すれば自分の至らなさを言い出すようになりました。」

 

虞超(ぐ ちょう)清華大学精密機器学部1995年卒業:「以前、自分は頭がよく優秀な人間だと思っていました。何かあると、自分ではなく人に問題があるに決まっていると思っていました。それが修煉してから、内に向かって探さないといけないのだと分かりました。何かあったら、自分の至らない点を見つけ、それを直視し、直していこうとする。これは簡単なことではありません。」

 

学生達は日々良い人、さらに良い人になろうと修煉している中に、科学を学んでいる時に感じたことのない事を感じ取り始めました。

 

王為宇(おう いう)清華大学精密機器学部1996年博士課程:「科学の学習は実験から始まります。実験のルールをまとめ、検証するという流れで、人を信じさせやすいです。ですが修煉は全然違います。修煉の始めは、常人(一般人)の中の良い人になるから、『真善忍』と言う特性に同化していきます。『真善忍』に同化したいなら、後天的に身につけたよくない習慣や観念を絶えず消し去らなければなりません。常人の中の良い人になって、自分を高め努力し、知恵を増やし、宇宙の奥義・真理を理解していくことに関して、法輪大法の創始者である李洪志先生はこのように話されています。『その博大で奥深い内涵は、修煉者だけが真に修める異なる次元の中で体験して悟ることができ、目の前に現れてくるもので、そうして初めて真に法とは何かが分かるのです。』と。私は自分が実際に修煉する中にこれは真実であり、奇妙な過程であることを体得しました。」

 

子供の時にこの世界は簡単なものではない、泰山も自分に語りかけてくると感じていた王為宇は、この時、忽然と輝く星々の中で、2人の古人と意気投合しました。

 

王為宇(おう いう)清華大学精密機器学部1996年博士課程:「修煉の過程に、あることが私を深く震撼させ、この世界に対する認識を変えてしまいました。それは物質と精神の関係です。以前物質と精神の関係について、気付いたことがありましたが、はっきりとせず、私はイマヌエル・カントの『墓碑銘』を読みました。「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない」と刻まれている。星空は物質的なもので、道徳の法則は精神的なものです。どうやってこの2つを融合したのでしょうか。修煉に通じてこの2つは実際は1つであることが分かりました。高い道徳法則の下で星空が永遠に輝き続けていけるのです。文天祥にもこのような論述があり、彼の『正気の歌』の中に『天地、正気あり 雑然として流形を賦す 下は即ち河嶽となり 上は即ち日星となる』と書かれています。文天祥も物質である太陽、月、星、山、川などは正気(精神)によって作り上げられ、意識から演化されたと知っていました。李洪志先生はさらに簡潔に、『物質と精神は同一のものである』と述べています。古の聖人から現代の文明まで、物質と精神について、こんなに簡単明快に説明できる人はいません。李洪志先生の『法正』にこのように書かれています。『人に徳がなければ、天災、人災が起こります。地に徳がなければ、万物が凋落します。天に道がなければ、地は裂け天は崩れ、蒼穹はすべて空になります。法が正しければ、乾坤は正しくなり、生気があふれて、天地は固まり、法は長く存在します。』この文章に含まれている意味は深く、今まで修煉し続けてきても、その中の少しも理解できていません。この一文を読む度に、その後ろにある正念と奥義を感じます。」

 

1996年1月21日、清華大学の建築館にいる人たちは興奮していました。この日は『転法輪』のハードカバー版の発行初日でした。李洪志先生が出版会に参加し、皆に説法しました。先生と初めて会う人が大勢いました。

 

須寅(しゅ えん)清華大学の元副教授:「その時は1996年1月、先生は恐らく45、46歳だと思います。しかし、李先生に会ってみたら二十代の若者のようで、私達よりも若く見えました。当時の心境はどういえばいいのか分かりません。先生のことをどう表現すればいいのか……。とにかく先生は若くて若くて……」

 

李洪志先生が帰る際に、このような一幕がありました。

 

謝衛国(しゃ えいこう)清華大学原子力研究所1999年修士学位取得:「先生が清華大学を離れようとしたとき、4人の学習者が先生の隣にいました。先生は、『あなた達は将来科学と文化を切り開く使命を背負っています。』と私達を励ましていました。この言葉は常に私の中にあり、その後外国に来た後もずっと成し遂げたいと思ってきました。」

 

当然これは後の話ですが、あの日清華大学の法輪功学習者にとっては、とても幸せな1日でした。本当に静かで憂いのない日々でした。

 

劉文宇(りゅう ぶんう)清華大学熱工学学部1999年博士課程:「皆、食事の時間になると食堂で同修(同じ学習者)を探し回り、見つけたらすぐ隣に座って何でも話してしまいます。親にも、一番親しい友達にも話せないことでも、同修には話せるのです。心を開いて自分に執着心があるかどうか、あるならどこにあるかを指摘してもらいたい。清華大学の煉功場の同修達は兄弟姉妹のようです。」

 

須寅(しゅ えん)清華大学の元副教授:「皆が私に気功の動作を教えていた時、趙明の姿が見えました。彼は瘦せていて、純粋な人で、とてもいい人です。どんなにいいのかはうまく説明できませんが、ただ一緒にいて自由な感じがするのです。」

 

蕭晴(しょう せい)清華大学精密機器学部1999年修士学位取得:「ある日二番目の功法を練習する時、頭上抱輪と言う時間のかかる動作がありました。長い時間かけるから、腕が疲れて来て、こっそりと降ろし、目を開いてみたら、張連軍さんがそばに立っているではありませんか。彼は厳しい顔をして、何で降ろしたのと聞くので、疲れたからと答えたら、『ほかに降ろした人がいるか』と言われました」

 

兪平(ゆ へい)清華大学熱工学学部1997年博士課程:「劉文宇さんはとても優しい人で、いつもニコニコしています。本を貸してくれたり、頼みごとをいつも親切にしてくれる、本当に善良な人です。」

 

王為宇(おう いう)清華大学精密機器学部1996年博士課程:「あの時は本当におかしかった。あの虞超も修煉しに来たのか、と信じられませんでした。よく見たら、確かに私が知っている虞超でした。」

 

蕭晴(しょう せい)清華大学精密機器学部1999年修士学位取得:「説法を半分ぐらい聞いた時に扉が開いて、虞超が入ってきました。1列目に行き、盤座が始まりました。」

 

王為宇(おう いう)清華大学精密機器学部1996年博士課程:「王久春は清華大学の煉功場の補導員でしたが、管理者はいません。王さんの部屋を覚えています。マットレスのないベッドがあって、大きい板だけで、行ったらそのまま坐禅ができるのです。皆自分のうちのように使っていました。王さんはいつも胡瓜などを用意してくれて、遅くなったら、私は彼女の家で晩御飯を食べたりしました。胡瓜や饅頭など簡単なものでしたが、美味しかったです。」

 

劉文宇(りゅう ぶんう)清華大学熱工学学部1999年博士課程:「王文宇が私に言った一言が忘れられません。彼は『私の夢が何だか知っていますか。お受験をしてみたいです。』と言うのです。私は思わず『何それ』と聞き返してしまいました。彼は小学校から清華大学の博士になるまで、ずっと推薦入学で、受験したことがないのですって。」

 

蕭晴(しょう せい)清華大学精密機器学部1999年修士学位取得:「先生が外国で行った説法の録画が届いたと聞き、自転車に乗って趙明の小さな家に駆けつけましたが、中はもう人でいっぱいで入れません。そこで清華大学の北門の近くに住んでいる同修の家に行ってみると、そこのベッドの上にも人がいっぱいでした。4、5人だったのが、すぐ床にも人がいっぱいになりました。でも、とても静かで、部屋中に先生の声だけが響いていました。」

 

1994年から1999年まで、清華大学の法輪功学習者達は幸せな5年間を過ごしました。雑木林や趙明の小さな部屋に彼らの影が残されました。これらの記憶が、未来訪れる無数の暗く寒い日の中に差し込む一筋の光になることを、その時の彼らは知る由もありませんでした。

(つづき)

http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2015/09/02/a1221102.html(中国語)

【世事関心】「清華大学の物語」 1

(翻訳/小松 映像編集/Ann)

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