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ウクライナ 共産党政権下の大飢饉犠牲者悼み各地で記念活動

2017年11月30日

【新唐人2017年11月30日】

ウクライナ各地では11月25日、84年前のソ連共産党政権下で人為的にもたらされた飢饉により数百万人に上る同胞が犠牲になり、その追悼集会が行われました。

 

少女の銅像にポロシェンコ大統領が跪いて献花を行い、市民らは蝋燭や稲穂を捧げました。

 

ウクライナ大飢饉84周年の今年、共産党の暴政により犠牲になった数百万人の同胞を追悼するため、11月25日、各地で記念活動が行われました。この日の夕方4時、全国で蝋燭が灯され黙祷しました。キエフでは大統領と首相が大飢餓記念碑に献花を行いました。全国の政府機関は黒いリボンをつけた半旗を掲げ、娯楽は禁じられ、教会では追悼ミサが行われました。

 

「東欧の穀倉」といわれたウクライナは1932年から1933年にかけて、未曽有の大飢饉に見舞われました。

 

歴史学者 李元華氏:「ウクライナの人口研究者の統計によると、始めの7カ月に300万人が死亡したといいます。また、1932年から1933年の間に600、700万人から1000万人が異状死でした。ちょうど大飢饉の時期です。」

 

ウクライナ大飢饉はソ連大飢饉の一部です。中国人からすると、共産党政権の誤った政策がもたらした中国大飢饉と同質のものです。

 

社会主義社会の建設という名目で、スターリンは第一次五か年計画で農業集団化運動を強行しました。富農階級を迫害した後に、農民から生活物資を没収し、集団農場に収容して国家の奴隷にしたのです。

 

ウクライナ大飢饉は政策の失敗というよりは、ウクライナの民族主義感情の高まりを押さえつけるため、わざと引き起こされたものです。

 

歴史学者 李元華氏:「ウクライナの裕福な農村では民族主義感情が強く、独裁政権にも反抗的でした。そこで、スターリンはこれらの農村に軍隊を派遣し、食糧を略奪したのです。飢饉はいわば人為的に引き起こされたのです。」

 

ソ連の解体後、ウクライナは独立し、大飢饉の犠牲者への記念活動が毎年行われています。一方、さらにひどい飢饉を経験した中国では、この話題はタブーとなっています。

 

中国の元歴史教授 劉因全氏:「これは共産党の罪、マルクス主義の罪です。ほとんどの中国人には言論の自由がありませんが、いつかこの罪が暴かれた時、人々は必ずや犠牲者を悼み、共産党に罪を償うよう求めるでしょう。その日が必ず来ると信じています。」

 

中国では大飢饉はタブーとなっており、研究することさえも許されていません。元新華社記者、楊継縄(よう けいじょう)氏の著書『墓碑』(日本語訳『毛沢東の大飢饉』)は発禁となっており、昨年楊氏は受賞のために渡米しようとしましたが、渡航を禁じられました。楊氏は、1958年から1962年までの間に中国で3600万人以上が飢饉で死亡しており、史上最悪の人災の一つであると指摘しています。

 

新唐人テレビがお伝えしました。

http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2017/11/28/a1352697.html(中国語)

(翻訳/白白 ナレーター/佐藤 映像編集/李)

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