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55年前の6月8日 中国の反右派運動開始

2012年06月08日
【新唐人2012年6月9日付ニュース】55年前の6月8日、毛沢東元国家主席が発動した反右派運動で、数百万人が迫害され、数え切れない人が家を失い、命まで失いました。中国では、反右派運動は未だにタブーな話題です。趙培のマイクロニュースをご覧ください。
 
NTD評論家 趙培
1957年6月8日、中共中央は毛沢東が起草した「中共中央の右派分子の攻撃に対し、反撃する指示」を発表しました。これより反右派運動のスタートです。それまでに中共が発動していた「発言者に罪はない、言われた者は戒めとする」との「大鳴大放」は、この日から右派を誘き出すための「陽謀」となりました。
 
中国全土で右派にされた人は55万人、判決、強制労働、家宅捜索に遭い、家族がばらばらになり、無数の家庭が崩壊しました。反右派運動は国家と社会に深刻な結果をもたらしました。毛沢東が発動した大躍進について反対意見を述べる人は誰もいませんでした。数千万人の餓死者を出した大飢饉も必然的でした。
 
1977年、胡耀邦が反右派運動の冤罪の再評価に着手しました。1980年5月8日まで、右派55万人のほとんどが名誉回復、しかし90人あまりは残されました。うち中共中央が認定した右派分子、章伯鈞、羅隆基、彭文応、儲安平、陳仁炳。彼らに対しては「汚名だけ取って、右派原案はそのまま」でした。しかしこんな意見もあります。「反右派運動では300万人が右派にされ、民国時代に養成したエリート知識人はほぼ全滅。多くの人が迫害で死亡し、名誉回復した55万人は運よく生き残った人だけ」
 
反右派運動のとき、各企業には指標が通達されました。ある有名な笑い話があります。ある企業で会議を開きましたが、夜中まで長引いてもみな悪口を言いたがりません。これでは右派の指標が達成できません。この時、張応時という人が我慢できずトイレに行きました。戻ってきたら、中からみんなのスローガンを叫ぶ声が聞こえてきました。「右派分子張応時を打倒せよ」。中に入ると、みんなから頭を下げて罪を認めるよう求められました。これで右派の指標が達成できました。
 
中共が今になっても、毛沢東の「偉大」なイメージを必死で守ろうとしているので、反右派運動の災難に対する徹底的な反省は見られません。文革も含めて大躍進、大飢饉も同じです。度々の運動で積み重なった罪悪はすでに償いきれません。中共の崩壊以外道はありません。
 
 
(翻訳/坂本  映像編集/工)

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