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5.12汶川大地震の謎を解く

2010年05月12日

【新唐人2010年5月11日付ニュース】四川大地震から2年。四川地震局・総合予報チームの責任者だった李有才(リヨウサイ)さんは、最近、『5.12汶川大地震の謎を解く』と題した著作を発表。本の中で、この地震を3回も予測し政府に報告したものの、当局には無視された、と告白しました。 

李さんによると、原稿はほぼ完成しています。英語版の出版を願い、国内外の出版社と連絡を取っていますが、中国国内での出版は難しいと見ています。
 
2003年頃から、李さんは汶川地区の長期、中期、短期の地震予測を開始。短期予測はこの地震の1ヶ月前でした。
 
四川地震局総合予報組・前組長 李有才
「予測は成功しました。長期、中期、短期とも政府に報告し、国家地震部門にも知らせました。しかし、彼らは信じません。信じてもらえたら、地震予報の初の成功例となるはずでしたが…」
 
地震を予測できたのに、数万人の生命を救えなかったことに、李さんはひどく心を痛めます。
 
四川地震局総合予報組前組長 李有才
「科学の角度から説明しましたが、私には権限がありません。上への報告しかできず、予報を通知する権利はないのです」
 
唯一救いとなったのは、水利部門と紫坪鋪(シ ヘイホ)ダムの管理会社の職員が彼の意見を聞き入れて、地震発生の3ヶ月前に4分の3の水を流したことでした。結果、地震によるダムの決壊を防げたのです。
 
四川地震局総合予報組・前組長 李有才
「洪水による災難は免れました。政府はこのことには触れません。パニックが起こるからです。地震前に放水をせず、ダム決壊で洪水が起きたら、成都の1千万人は悲惨です。あの大型ダムは都江堰に近く、五分で都江堰は流されます」
 
李さんによれば、紫坪舖ダムの建設が予測の鍵になりました。2002年、つまり建設が始まって1年後、李さんは論文の中で、「ダムはちょうど大地震の震源地に位置するだろう」と指摘。論文はこの2年後、国務院や四川政府などに送られましたが、地震局はこれを受け入れませんでした。その後汶川地震が起きましたが、その震源地はダムからわずか10kmの位置だったのです。
 
他にも多くの地震専門家が政府に四川大地震の予測を報告しましたが、いずれも聞き入れられませんでした。地震発生後当局は、「四川地震は何の兆しもなく、予測不可能だった」と主張。地震予測専門家の黄相寧(コウ ソウネイ)さんはこう言います。
 
著名地震予測学者 黃相寧
「汶川地震の時、中国では20名近くが各自の予測を出しました。彼らは『地球物理学会』の天災予測専門委員会に属し、地震局の職員ではありません。一部は地震局の定年退職者で、多くは民間の研究者です」
 
黄さんは、「現在各国の地震予防政策には重大な誤りがあるため、地震発生の可能性を庶民が知ることができない」といいます。
 
著名地震予測学者 黃相寧
「人類社会の秩序と発展は命を守ることが一番で、経済発展はその次です。これが第一点。次に私が言いたいのは、誰もが地元で起こりうる災難を知る権利があります。国連と各国政府は人々にこの権利を与えるべき」
 
李さんも「中国の地震学界の官僚体系、学術の腐敗、学閥の抑圧などにより、最も優秀な地震予測の人材が能力を発揮できず、多くの生命も失われた」ととらえます。
 
黃さんは、同じような大地震がここ1、2年でまた起きると警告。地球はすでに巨大災害発生時期に入り、しかも今年はすでにピークに入ったと言います。しかし人類はまだこれを認識できず、危機感が持てていないのです。
 
新唐人記者がお送りしました。
 

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