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【禁聞】今なお慕われる不遇の元総書記

2014年01月10日

【新唐人2014年1月10日付ニュース】9年前の1月17日、中国共産党の元総書記、趙紫陽氏が亡くなりました。趙氏の誕生日や命日になると、今でも趙氏の元住まいを訪れる市民が絶えません。鄧小平と江沢民に、15年間軟禁された元総書記は、なぜ今なお、市民に慕われているのでしょうか。1月7日、軟禁中の趙氏に会ったことのある、「共産党中央農村政策研究室」の研究員、姚監復(よう かんふく)さんを取材しました。

 

9年前の1月17日、趙氏は15年間の軟禁の末、85歳で静かに世を去りました。失脚の原因は、天安門事件で武力弾圧に反対したためです。

 

趙氏の誕生日や命日になると、今なお多くの市民が趙氏のかつての住まいを訪れ、その死を悼んでいます。しかし、たびたび当局の妨害や暴力に遭ってきました。

 

今年82歳の「共産党中央農村政策研究室」の研究員、姚監復さんは、当局の厳しいチェックを通り、晩年の趙氏に対面しました。

 

共産党中央農村政策研究室 姚監復さん

「市民に愛されるのは、趙氏が真理を堅持したからです。当局の圧力や誘惑にも打ち勝ちました。このような共産党指導者はまれです。彼は模範となりました」

 

また天安門事件の直前、上海市のトップだった江沢民は、政府に批判的だった週刊誌「世界経済導報」を発行停止にし、ここから腐敗反対の抗議活動が全国に広がりました。共産党は当時、一党独裁を守るため、政治改革、さらには学生との対話も拒みました。

 

1989年5月19日、午前4時50分、学生に同情した趙氏は、天安門広場でハンガーストライキ中の学生を見舞いました。

 

趙紫陽 共産党元総書記

「来るのが遅すぎた、申し訳ない。君たちに批判されるのは当然だ。今回 来たのは許しを請うためではない。学生諸君は体力を消耗している。絶食もすでに7日目だ。このままではいけない」

 

しかし6月4日、天安門広場や長安街、および主な交差点で、鄧小平の命令を受けた軍隊が丸腰の学生と市民を武力で弾圧しました。

 

6月下旬、鄧小平の弾圧の決断に反対した趙氏は、総書記を解任され、軟禁されました。

 

共産党中央農村政策研究室 姚監復さん

「趙氏は人道に対する罪に反対することを選びました。鄧小平のやったことは歴史、中国人、人類に対する犯罪です。人道に対する罪には時効がありません。将来 必ず裁かれます。道徳の法廷 、史の法廷、そして国際法廷で…」

 

1997年、鄧小平が亡くなった後、趙氏は2度、書簡を記し、天安門事件の再評価と軟禁解除を求めました。しかし、この時の最高指導者は、「世界経済導報」の粛清で取り立てられた江沢民でした。

 

江沢民は、趙氏が家で友人に会うのを禁じ、病院か、農民が経営する郊外のゴルフ場に行く以外は、外出を許しませんでした。2002年、江沢民は退任時、次期指導者たちに天安門事件の再評価を禁じました。結果、趙氏は亡くなるまで軟禁を解かれませんでした。

 

天安門事件に参加した、中国の人権派弁護士、浦さんは、次のように語ります。

 

人権派弁護士 浦志強さん

「趙氏には敬服します。少なくともあの時彼は誠実でした。他の共産党総書記とは違います。天安門事件で、彼は自身の理念を貫きました。そのため、死ぬまで軟禁生活でした。共産党統治下では、正義のパワーは悲劇の運命をたどると教えてくれます」

 

2005年初頭、趙氏の死後まもなくして、娘は「父はついに自由になった」と嘆きました。

 

新唐人テレビがお伝えしました。

http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2014/01/08/atext1039243.html(中国語)

翻訳/河合 ナレーター/水田 映像編集/工)

 

 

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