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中国メディアの開放を信じる声

2010年05月03日

【新唐人2010年4月30日付ニュース】先日、第2回国際メディア会議が香港で開催され、世界各地のメディア関係者が一同に会しました。3日間の議論の中で、中国からのメディアは「中国メディアは依然として当局の制御や利益団体からの干渉を受けているが、メディアの開放を妨げることはできない」と述べました。

2回国際メディア会議はハワイのイースト・ウェストセンターと香港大学ニュースメディア研究センターの主催で開催。4月28日の会議では、南方報業(なんぽうほうぎょう)の理事長で曁南(き なん)大学・メディア学院院長、南方日報(なんぽうにっぽう)の前社長も務めた範以錦(はん いきん)氏が「転換期にある中国メディア』と題する演説を行いました。
 
『南方都市報』の創始者の1人、範以錦氏は長年、編集・取材・管理などにたずさわりました。「中国メディアは波状式に開放へ向かう」と述べます。
 
『南方都市報』の創始者の一人 範以錦
「メディアの開放は妨げられない。二点が鍵です。一つ目は市場の力。市場化の道を歩むなら、庶民に好まれる必要があります。つまり、誠実で客観的、公正。二つ目はネットメディアの発展。ネットも管理されていますが、ネットは何と言っても速く、メディアの開放を進めます」
 
範以錦氏は南方報業を率いていた頃、積極的な改革を実施し、傘下の新聞は高い名声を得ました。これまで多くの波の中で、範氏は部下の記者を全力で守ったそうです。
 
さらに、「中国メディアは政府の制御を受けているので、多くの取材記事を載せることができない。けれど政府も、報道しないほうの損失がより大きいことに気付き始めている」とも指摘します。
 
範氏によれば、地方政府・利益団体とメディアとの間の癒着はまだ多く、一部のメディアや記者は口止め料さえもらっています。それでもメディアは、社会全体ほどは腐敗していないそうです。
 
かつて『財経(ざいけい)』の編集長を務めた胡舒立(こ じょりつ)さんもこの会議に出席。胡さんは1998年に『財経』を創刊して以降、多くの内幕を暴き、アメリカの雑誌『ビジネスウィーク』からは「中国でもっとも危険な女性」とさえ称されました。
『財経』の前編集長 胡舒立
「過去十年の『財経』の成功と中国の報道の発展は足並みをそろえます。あの十年で、我々は高成長を遂げました。中国の新聞関係者とメディア全体も同様です。その内、金融分野と市場化メディアの発展は驚くほどの速さです」
 
去年11月、胡さんと編集部のスタッフ140名、さらに60名あまりの市場管理職員が集団で『財経』を辞任。その後胡さんは『財新ネット』や『新世紀週刊』を傘下におさめる『財新(ざいしん)』を設立しました。『中国改革』の編集長なども兼任します。
 
胡さんの辞任は海外メディアから「中国独立メディアの大きな挫折」と形容されました。これに対し胡さんは、「辞任したのはあきらめたからではなく、本業を続けるため」と述べます。また『新世紀週刊』は、『財経』と同じくらいの影響力を持つようになる、と自信を見せます。
 
中国メディアと社会の発展について、胡さんは「両者は互いに関連し、これからの道のりは決して平坦ではないが、希望を持ってあきらめはしない」と述べます。また「中国メディアは以前政府の声だけだったのに、今は多くの声を持つ」とも言います。
 
上海の『新民週刊』で主筆編集委員を務める胡展奮(こ てんふん)氏は上海メディアの変貌を語ります。
 
上海『新民週刊』の主筆編集委員 胡展奮
「最近よく言うのは利益団体とメディアの駆け引きです。毒粉ミルク事件では我々『東方早報』が一番に名指ししました。スクープの前夜、問題企業から数百万元で買収すると誘惑されました。でも我々の上司は『金を見たことがないわけではない』と。この報道は成功し、中国メディア人の良知と正義を体現しました」
 
香港大学のニュースメディア研究センターの研究計画主任、銭鋼(せんこう)氏は「チベット騒乱、四川大地震、新疆の騒乱などを通じ、共産党政府はニュースの隠蔽が不可能なことに気付いたはずだ」と述べます。でも政府は、真実をすべて明かす意図はないようです。
 
香港大学ニュースメディア研究センター 銭鋼
「当局のメディアの制御は完全な報道禁止ではありません。なぜなら禁止しても、外国メディアやネットが報道します。だから、官製メディアに一足速く報道させます。原因は伝えず、群衆の抗議を防ぎます。社会の汚職追求を許しません。落ち着いたら、自分で後処理します。これはいわゆる『安定』のためです」
 
かつて『南方週末』で副編集長も務めた銭鋼氏によれば、中国の報道の自由と政治改革は互いに関連するものの、政治体制の改革はほとんど進歩がありません。よって、今行っていることはみな微々足るもので、報道の自由は80年代、趙紫陽(ちょう しよう)総理の頃にさえ及びません。けれど、銭氏は中国の報道の自由が大きく変貌を遂げることを信じています。政治改革も進歩があるはずと考えているからです。
 
新唐人記者がお送りしました。
 
 

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