【新唐人2012年9月29日付ニュース】9月28日に開かれた中国共産党政治局会議では重慶市元トップ薄熙来の党籍剥奪と公職追放が決まりました。今年2月の王立軍米領事館駆け込み事件から薄熙来の政治生命終焉までのハイライトをご覧ください。
2月6日、命の危険を感じた元重慶市公安局長王立軍が成都の米領事館を避難先に選んだとき、外界は薄熙来の運命を推測し始めます。王立軍の裏切りを知った薄熙来は当時、70台の警察車両を派遣して米領事館を包囲。この挙動には、党メディアの新華社さえ“わがまますぎる”と批判。
自身の身に危険が迫っていることを知りながら、薄熙来は3月に開かれた全人代に出席し、記者会見にもいつもの調子で臨みます。
前重慶市書記 薄熙来
「私は憤りを感じる。全くのでたらめだ。私の息子だけでなく、私たち夫婦にも個人資産は全くない。数十年来ずっとそうだ」
外界が投げかけた各種疑惑に対し、薄熙来は大声で否定しました。しかし3月14日、全人代最終日のこの日、温家宝首相が記者会見を大幅に引き延ばし、最後の記者の質問を借りて重慶事件を厳しく批判。このときになってやっと、外界は薄熙来の政治生命の終焉を確信しました。
温家宝首相
「皆さんにお告げしますが、中央政府は高度に重視し、すぐ関連部門による専門的な調査を行い、法に基づいて厳しく処理します」
翌日の3月15日、中国共産党当局は薄熙来の重慶市委員会書記、常務委員および委員の職を解くと発表。
4月10日、当局は党規違反を理由に、薄熙来の中央政治局委員、中央委員の職務を解くと発表。同時に中央紀律検査委員会による立案調査を始めました。
しかしその後、薄熙来に関する当局からの情報は途絶え、9月24日になってようやく王立軍に15年の判決を下しました。裁判所の判決書から薄熙来の運命が危うい事が推測できました。そして9月28日夜、新華社が薄熙来の党籍剥奪と公職追放を発表しました。
新唐人テレビがお伝えしました。
(翻訳/坂本 ナレーター/村上 映像編集/工)