【新唐人2012年11月5日付ニュース】姜文(ジャン・ウェン)監督の中国映画「鬼が来た」(原題:鬼子来了)は、2000年5月、カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞し、2002年には日本の“毎日映画コンクール”で外国映画ベストワン賞を受賞し、日本人観客にも衝撃を与えました。しかし、中国では当局の審査に通らなかったため、公開できませんでした。近日、北京映画学院の教授がブログで、この映画に対する中国国家広電総局の“審査意見書”を公開しました。どんな内容だったのでしょうか。報道をご覧ください。
この審査意見書によると、映画はまず、抗日戦争の背景の下、中国庶民の日本侵略者に対する“憎しみと反抗”が充分に表現されていないばかりか、逆に“愚昧で麻痺した奴隷根性の一面”を突出して表現した。次に、日本軍国主義の侵略の本性を充分暴いておらず、逆に侵略者の気勢を際立たせた。映画の基本的なスタンスに深刻な偏りがある、としています。
映画は、日本占領下の河北省のある小さな村の村人と日本兵との間の物語を、独特な視覚で描いています。原作は尤鳳偉(ユウ・フェンウェイ)氏の短編小説“生存”ですが、映画では大きく変えられました。
映画評論家・李祥瑞(り しょうずい)さんは、原作が“軍民が奮って侵略に抵抗した”ことを重点的に描いているのに対し、映画では“村人の愚昧さ”や“戦争のばかばかしさ”に重きを置き、中国人の弱点を指摘するとともに、多くの危機意識をストーリーの中に盛り込んでいると分析します。
原作の作者・尤鳳偉(ユウ・フェンウェイ)氏は映画が原作を歪曲し、改ざんしたとして、訴訟を起こしました。これに対して、李さんは、姜文(ジャン・ウェン)監督が大胆に改ざんしたからこそ、人間性を掘り起こす深みのある映画に仕上がったと評価します。
中国の詩人で文化評論家の葉匡政さんは、この映画は1949年以来の、中国で製作したベスト作品だと称えます。
文化評論家 葉匡政さん
「まず、この映画はブラックユーモアに溢れています。次は国民性への反省で中国の抗日映画では今までなかったものです。三つ目、抗日当時の真実を描いています。中国の抗日映画はずっとシンプルなイデオロギーでした。例えば憎しみ、仇を打つ、英雄、敵、このようなシンプルな枠組みの中でストーリーが展開されるのです」
中国の抗日関連映画は、例えば“地下トンネル戦”(原題:地道戦)や”小さな兵士チャンガ“(原題:小兵張嘎)などは、いずれもシンプルなイデオロギーでストーリーを展開しているのに対し、”鬼が来た“は、従来の抗日映画と違い、非常に生々しいと述べます。
また、文学と芸術は多元化の表現であり、愚昧を表現するときもあれば、堅い信念を表現したり、角度を変えて表現することがあると示します。各国の歴史の中にも、後世の人が誇りに思う歴史人物もいれば、恥に思う人物もいるのです。
文化評論家 葉匡政さん
「現下のイデオロギーでは、この国の輝かしい歴史を描いたものだけが優秀な映画と思われがちますが、実際はそうではありません。民族の苦難の歴史、或いは民族の愚昧と麻痺した心、または民族の歴史の暗黒な部分の表現がもっと重要なときもあります。この種の心の麻痺や苦難、愚昧の歴史をもっと知る事によって、良識をなくす可能性が少なくなり、人々の良知と真理への渇望を更に呼び起こす事ができるのです」
葉さんは、近代の百年の間、中国では重大な歴史事件が多く発生していますが、文芸作品ではこの百年の中国人の真の感受、特には受けた苦難が描かれていないと示します。
映画“鬼が来た”に対する審査意見書では、映画は“深刻に偏っている”部分が多いと批判しています。うち一例がこちら。日本軍が投降した日、国民党将校が“日本が投降し、これから唯一合法的な政権は国軍だ”と宣言します。審査意見書では、このシーンは“国民党への批判と風刺の効果に達していない”と批判。これに対し中国のネットユーザーは、おそらくこのシーンは共産党の最も痛い所に触れたのだろうと示しています。
新唐人テレビがお伝えしました。
(翻訳/坂本 ナレーター/大口 映像編集/工)