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天安門事件で新証人「私と同級生は戦車にひかれた」

2015年06月02日

【新唐人2015年06月02日】今年の6月4日で、あの天安門事件から26年になります。5月31日、天安門事件26周年のシンポジウムがアメリカで開催され、事件の生存者が電話で戦車にひかれた過程を話しました。当局が戦車で学生をひいたと公に証言したのは、これで2人目になります。

 

天安門事件の生存者 王寛保さん

「6月4日の朝、天安門広場から引き揚げた時、六部口で私と林仁富が戦車でひかれ、私は病院に送られ 彼は死にました」

 

この声の主は王寛保(おう かんほ)さんで、当時は北京鉄鋼学院の大学院生でした。王さんは戦車にひかれて骨盤を複雑骨折し、一緒にいた林仁富(りん じんふ)さんは即死しました。

 

天安門事件の生存者 王寛保さん

「彼は当時 もう卒業し、日本留学のビザもありました。彼の妻は妊娠していましたが、事件後職場や家族から圧力を受け、精神に異常をきたしました。子供もおろしたそうです。本当に悲惨でした」

 

当時の目撃者の話と映像資料によると、1989年6月3日の夜から4日の明け方にかけて、完全武装した兵士数千人が戦車や装甲車と共に、戒厳令の名目で様々な方向から天安門に突入しましたが、途中で数千人とも言われる市民を射殺しました。

 

作家 呉仁華さん

「北京軍区天津警備区の数台の戦車が学生を背後から ひきました。学生は驚いて逃げましたが、王寛保と林仁富は自転車を押し、道端を歩けば大丈夫だと思い、戦車にひかれました。林さんは即死し、王さんは骨盤を骨折しました」

 

当時の学生リーダー 周鋒鎖さん

「戦車に両足をひかれた方政は生き証人です。彼の出現と証言で、中共の嘘が暴かれました。今回の王寛保さんは戦車にひかれた2人目の生存者で、重要な意義があります」

 

1995年にアメリカに来た王寛保さんは、現在コンピューター関係の仕事をしています。当時の傷のために合わせて10回以上の手術をしましたが、いまだに完治していません。中共当局が戦車で学生をひき殺したと証言したのは、王さんで2人目となりました。

 

新唐人テレビがお伝えしました。

http://www.ntdtv.com/xtr/b5/2015/06/02/a1200700.html(中国語)

(翻訳/河合 ナレーター/佐藤 映像編集/李)

 

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