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【世事関心】二面性を持つ中国はどこへー起因(中国語)

2010年12月03日

【新唐人日本2010年12月4日付】皆様こんにちは。2009年10月1日は、共産党が政権を樹立して60周年。中国には「偉大」「輝かしい」「驚愕の功績」といった言葉があふれました。

しかし、多くの中国人にとって、60年の歴史はそれらの形容詞とはかけ離れたものとなっています。この半世紀以上の日々の中、希望や喜びもあったでしょうが、決して癒(い)やされることのない傷も負ってきました。
 
今日の中国人は、重くのしかかる生活の負担のほかに、困惑と失望もあります。これらは一体なぜなのでしょうか。
 
複雑きわまりない二面性を持つ中国。では一体、どこに行くのでしょうか。
 
この問題に回答するため、『世事関心』は「二面性を持つ中国はどこへ」を制作しました。このシリーズは「起因」と上中下からなります。本日は「起因」です。
 
こちらは、北京のアメリカ大使館です。大使館の前には、毎日、ビザの手続きに来る人で長蛇の列ができます。実は、自費留学のビザですが、全額奨学金がもらえるケースを除き、国内の親戚に保証人になってもらうほうが、ビザを取りやすいそうです。中国には資産家がいることをビザ担当官も知っているからです。
 
ビザ担当官だけでなく、世界もこの点を目にしています。
 
ニュージーランドの車のディーラーによると、中国人の若者はほとんど現金で車を買うそうです。ニューヨークから来た人は、上海の高層ビルを見て、ショックを受けるかもしれません。消費の主役の座も、日本は中国の観光客に奪われました。
 
2008年、中国は世界第3の経済大国になりました。
 
欧米メディアは、中国の著しい経済成長を熱く語り、建設ラッシュの写真を掲載。中国国内でも、多くの都市住民が過去数十年で、生活レベルがぐんと上がったと感じています。これらに加えて、メディアの喧伝(けんでん)によって、中国人の脳裏には「繁栄する中国」の姿が焼き付けられました。
 
しかしその一方、アメリカ大使館の前の列は途切れません。ここからお分かりのように、中国のエリート層は、長らく外国志向でした。留学、定住、投資、子女(しじょ)の移民。彼らの目的の多くは、海外で住まい、あるいは次のステップとなる場所を見つけることです。
 
このほか、出国の目的が勉学であっても、はっきりとした目標もない人もいます。ただし、海外留学によって、未来の選択肢が広がることは間違いありません。
 
ではここで、時空を超えてみましょう。
 
1300年前の中国もまた、栄華(えいが)を極めていました。唐の時代です。当時の長安は、世界最大の都市で、世界各地の留学生が集まっていました。長安の人口は約百万人を誇りました。ムハンマドは弟子に、「学ぶなら、中国に行きなさい」と述べています。
 
面白いのは、唐の時代の資料には遣唐使や留学生、外国の使節(しせつ)などの言葉があふれる一方、当時、中国から海外に留学したり、定住したりといった記述はほとんどありません。つまり、栄華を誇った唐がオーラを放ちつつ、広い懐(ふところ)で各国を受け入れ、まばゆい光で世界を照らしたのでしょう。
 
現代と唐の時代を比べると、極めて大きな違いがあります。それは「自信」です。唐の時代の人は自信に満ちあふれ、一介の書生でさえ、向上心がみなぎっていました。しかし、そのような栄華は戻ってこないのかもしれません。
 
今日(こんにち)の中国人は、将来に自信が持てないようです。お金があっても、不安をぬぐえません。ここには、繁栄と崩壊がほぼ同時に存在しているからです。そこで、中国の現状と前途は、世界最大の謎ともなっています。
 
では、次の数字を見てみましょう。当局の発表によると、2006年中国の都市住民の平均手取り年収は79年の29倍、農村住民の実収入も79年の24倍でした。この頃(ころ)、国内総生産つまりGDPも51倍増えました。
 
このスピードと比べれば、中国人の収入の増加は遥かに及ばないうえ、物価の値上がりも激しかったので、庶民の生活レベルの向上には限りがありました。しかも、当局の発表する数字には、よく水増しがあります。それでも数十年、貧しかった中国人にとって、これらは驚きの数字なのです。
 
中国人の生活は、この数十年で驚くべき近代化を遂げました。例えば三種の神器。自転車、ミシン、時計から洗濯機、テレビ、冷蔵庫、さらには株、不動産、自動車など大きく変化しました。時間軸だけをみるならば、この発展のスピードは確かに、並大抵ではありません。
 
著しい経済成長により、中国は国際社会での存在感が高まりました。世界経済や政治への影響力も増し、国際的な地位も向上(こうじょう)。アジアの発展途上国から、世界の熱い視線を浴びるようになりました。
 
しかし中国は、「栄華(えいが)」を誇る(ほこる)一方、大きな危機がすでに姿を見せ始めています。90年代、ほとんどの国民が経済改革の恩恵をあずかった状況に、変化が生じたのです。この変化はさらに急激になります。統計の数字から「平均」の2文字を取った場合、全く違う光景が目の前に現れてきます。
 
キャップジェミニが発表した「2008アジア太平洋資産報告書」によると、2007年末までで、100万ドル以上の資産を持つ富豪が中国には合わせて41万5千人おり、前年よりも20.3%増加。これらの資産家の富を合わせると2兆ドル、日本円では約170兆円を超えます。2007年のGDPの6割に相当し、2007年の中国の財政収入の3倍近くです。一方、この資産家は人口の0.0003%に過ぎません。
 
中国の都市住民と農民の収入格差は、すでに世界でトップとなりました。中国の農村には、生活に困っている人が3千万人もいます。きらびやかな北京を100キロ離れれば、驚きの格差が目に飛び込んできます。一晩8万元の大統領用のスウィートルームに、客足が途絶えない中、100キロ離れた河北省には、まともな布団すらない家庭があります。
 
貧富の両極化はすでに、現代中国の大きな特徴になりましたが、中国の「繁栄」のイメージを崩すのは、これだけではありません。
 
中国の生態環境は、すでに崩壊のふちに達しています。中国の主な水系(すいけい)のうち、すでに5分の2は水の機能を喪失。3億人余りの農民は、安全な水を飲めません。世界で汚染が最も深刻な10都市のうち、中国は5つを占めます。4億人以上の都市住民は、汚染の深刻な空気にさらされ、結果、1500万人が喘息やがんになりました。
 
水と土の流出も深刻で、目下、水と土の流出面積は国土の38%を占め、90%以上の牧草地帯が後退し、4億人近い人口の耕地と住まいが砂漠化の危機に直面しています。
 
中国当局も、近い将来、中国人1億5千万人が生態系難民になると認めています。
 
21世紀に入ると、世界は中国製品であふれ返るようになりました。しかし、中国の失業率は世界でも最悪のレベルで、20%以上に達します。
 
90年代後半から、「新たな3つの大山(たいざん)」と呼ばれる言葉が出現。中国人にのしかかる大きな負担、つまり住宅、教育、そして医療です。例えば、7割以上の市民が家を買えません。
 
住宅問題への庶民の怒りは、すでに限界に達しています。北京、上海、広州、深センなどでは、新婚夫婦の間で、「6人で家1戸を買う」のが流行っています。家を買うとしても、双方の両親の「老後の貯蓄」を頭金にして、夫婦は毎月のローンしか払いません。
 
かつて中国が誇りにしていた巨額の外貨準備高(じゅんびだか)ですが、今では厄介者となっています。1兆ドルを貯(た)めるに、中央銀行は8倍額に相当する人民元を発行せざるを得ません。しかしこの8兆ドル相当の人民元は、商業銀行を経る過程でどんどん増えていきます。これら大量の資金が怒涛のごとく、中国経済へと流れ込んだ結果、2006年以来の深刻なインフレを招きました。
 
不動産、水道、電気、ガスなどが続々と値上がりし、労働者の給料がどれほど上がっても、これらの値上がりには追いつきません。仕事があってもこれですから、失業者や生活の保証のない農民は、生活のレベルがほぼ毎日下がることになります。
 
中国の官僚は、世界で最もうま味のある公務員です。毎年、公費による飲み食いや公用車、海外訪問など合わせると日本円で8兆6千億円。一方、教育への投資は世界的に見ても極めて少なく、毎年、GDPのわずか4%で、アフリカのウガンダよりも低いのです。
 
中国は、高級住宅やぜいたく品、高級クラブがすさまじく発展する一方で、その光が当たらないところには、リストラ者、貧しい農民、強制立ち退きや不公平な司法の被害者などが大勢います。彼らの心に潜(ひそ)む無念と怒りは、いつ爆発してもおかしくありません。
 
“陳情は無罪だ”
“陳情弾圧は違法だ”
 
新疆抗議デモ
 
1993年から2003年まで、中国では「集団抗議事件」の数が、毎年1万件から6万件に増え、関与した人も73万人から307万人にまで増加。2004年は7万4千件だったのが、2007年には9万件を超えました。
 
貴州省・女子中学生殺害事件
河南省鄭州市 暴力が起こした騒乱
浙江省 抗議の民衆が逮捕される
千名近い陳情者が北京でデモ
杭州市の暴力的立ち退き
中国証監会のデモ 全員逮捕
陳情は無罪だ
陳情弾圧は違法だ
 
雲南省・炭鉱会社で大規模抗議
数千名がヤミ監獄の取締りを要求
広州市 2千名の業者が警察と対峙
無罪を訴える広東省の陳情者
毒ミルク事件の被害者家族
強制立ち退き
 
【歌詞】
どれほどの人が
解決不能な問題を追っているのか
どれほどの人が
真夜中 ため息をついているのか
どれほどの涙が
無言でぬぐわれたのか
「親愛なる母」よ
これは どんな真理なのか
 
この30年、物質的な暮らしの変化のほか、中国社会に大きな衝撃をあたえたのが、信仰の破壊でした。
 
中国政府は、共産主義独特の言い回しを好んで使いますが、総書記から農民まで、実はもう誰も共産主義を信じてはいません。同時に、中国伝統の信仰は共産党の圧政下で、ほぼ消滅しました。そして、金儲け至上主義の風潮が中国を支配することになります。
 
“(大陸の玩具は)鉛の量が1万の単位です”
 
2007年、中国製の毒入りペット食品と鉛を含んだおもちゃが世界に衝撃を与えました。1年後、メラミン入りの粉ミルク事件により、中国食品への信頼は地に落ちました。最も気の毒なのは、幼くしてこの世を去っていったメラミン被害にあった赤ちゃんです。
 
誠実と信頼の喪失、道徳の堕落は社会を丸ごとのみ込みました。中国人の「性」への考え方は、すさまじい変化を遂げました。「性」は一種の娯楽となり、伝統的な家庭の概念が覆されたのです。
 
一晩限りの関係、愛人などが高官から庶民にいたるまで、社会の流行になりました。道徳観の退廃によって、体を売る女性が増え続けています。
 
北京師範大学の金融研究センターの調べでは、目下、中国で売春をする女性は500万人。もし1人当たり、3人が売春女性をサポートするとすれば、中国では性産業に関わる人は2千人、中国経済への直接あるいは間接的な貢献はGDPの12%強に当たります。
 
これらに加えて、15億近い人口も抱える中国。人々が生きていくための需要、生態系への負担、危険な生存状態などが絡まりあって、巨大な不気味なエネルギーに生まれ変わります。
 
中国の複雑極まりない二面性に対し、中国の新たな指導者は、巧妙な言い方で中国の国情と共産党の指導を表現。温家宝首相は、「中国共産党の指導による改革で、大きな功績を収めた。我々はいまだかつてない試練に直面しているが、前途は明るい」と述べたのです。
 
一方で、中国の改革開放を指揮した鄧小平氏は、かつてこんな意味深長な話を述べています。「もし我々の政策で二極分化が進むなら、それは失敗なのだ」
 
普通に理解すれば、もし貧富の格差が政策ミスのため、無意識で起こったのであれば、その政策を正せばよいのです。ではなぜ、全体が失敗にいたってしまうというのでしょうか。
 
貧富の格差など、今の中国の多くの問題は、改革の過程なのか、それとも改革の結果なのか。一種の無意識の政策の部分的なミスなのか、それとも中国の改革モデルの必然の産物なのか。
 
根本原因は何なのでしょうか。中国の発展過程には始終、調和不可能な矛盾がまとわりつきます。だから、矛盾を解決しても、また新たな矛盾が生まれるのです。
 
何かを守るには、何かを犠牲にする。ある目的のためには、何かに譲歩する。何かを隠すためには、圧制の道しかない。国と民族の長期的な発展にとって、このモデルが意味することとは?
 
2500年前、古代ギリシャの哲学者、プラトンは、後世に多大な影響を与えた本を記しました。それが「国家」です。対話の形で、理想の国のさまざまな面を論じています。さらに掘り下げると、理想の国の姿を通じて「公(おおやけ)の正義とは何か」を証明するのが狙いでした。
 
最後、真の公(おおやけ)の正義とは完全な公(おおやけ)の正義であるべきだと結論付けています。つまり、あらゆる人にとっての公正と正義だというのです。
 
この公の正義は、国の日常の営みに現れてきます。例えば仕事。誰しも自分のやるべきことをやり、こなすべき職責をこなす。これらが合わさり1つの理想の国、つまり最高の状態になります。真の完璧な正義があって、理想の国が造られるのです。
 
1990年代、中国である論争が起こりました。そのテーマはプラトンが2500年前に提唱した「公の正義」についてと似ています。
 
テーマとは、公平と効率のどちらを優先するべきなのか。しばらく論争がありましたが、その後、中国の改革開放を指揮した鄧小平は「効率が優先だ。効率のためなら、公平を一時的に犠牲にしてもかまわない」と発言。
 
そして、「一部の人を先に豊かにさせる」などの国策が打ち出されました。面白いのは、同じように理想の国を追求しながら、共産党とプラトンは全く逆の選択をしたことです。共産党は効率のため、公平を犠牲にしましたが、プラトンは「理想の国を造るには、真の公平と正義がなくてはならない」と結論付けました。
 
どちらが正しいのでしょうか。
 
もしかしたら、どちらも正しいのかもしれません。ただプラトンの言葉は、この世の根本的な道理といえます。共産党が選んだのは、危機が迫ったとき、すばやく避けるための近道です。しかし中国の悲哀は、何度となくこの「近道」を選んだことです。その結果、もうほかの道に進む選択肢が失われました。
 
ただ、それでもこの「近道」は希望をもたらしました。よって、今日の人々はこの希望と崩壊という迷いの中にいるのです。中国の前途はどこなのか、見えません。
 
ならば、もっと優れた経済モデルや魅力的な理論、あるいは庶民への約束に基づく形で、きめ細かく見る必要があるのではないでしょうか。
 
あるいは、今、真に必要なのはこれまで考えたことのなかった最も基本的な哲学的思考かもしれません。栄光盛衰(えいこせいすい)の歴史は、それこそ一切の世事(せじ)の根本的な道理であり、源(みなもと)でもあることを証明しました。
 
では、中国を見てみましょう。13億の中国人が過去30年歩んで来た軌跡(きせき)からは、自然とある道が見えてきます。公の正義が道の真ん中に構えている、そのような道です。それは我々がずっと渇望してきた道であり、この道は過去から、さらに未来へとつながっていきます。
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