【新唐人2015年04月17日】長年、けがに悩んできた中国・陸上界のスター、劉翔(りゅう しょう)が4月7日、ミニブログで引退を発表しました。NBAで活躍した姚明(よう めい)やプロテニスプレーヤー、李娜(りー な)とは対照的な地味な引退表明です。劉翔は最も悲劇的なアスリートと言われますが、一体なぜそれほどの悲劇が生まれたのでしょうか?
「さようなら!僕のトラック、僕のハードル。僕は今日でアスリート人生を終え、正式に引退する」。4月7日午後5時、劉翔の2400字に及ぶ引退宣言、「僕のトラック、僕のハードル」がミニブログに掲載されました。未練を残し苦しみながら、しかし熟慮の末、選択の余地のない決断をしたと語っています。また、二度と「意気地なし」「敵前逃亡した」などと、ののしられたくないとも述べています。
1983年生まれの劉翔は110メートル障害の選手でした。2004年のアテネオリンピックで、アジア人として初めて陸上短距離で金メダルを獲得し、2006年には12秒88で世界記録を樹立し、2007年の世界選手権でも金メダルを獲得しました。こうして劉翔は中国で最も人気のあるアスリートの1人になり、中国のスポーツ界で最も早くスポンサーの寵児になりました。
しかし2008年の北京オリンピックでは、13億人の期待を背負いながら、ケガのために棄権をしました。2012年のロンドンオリンピックで雪辱を誓ったものの、最初のハードルで転倒しました。この2度のアクシデントで劉翔は集中砲火を浴びました。
「結果はともかく参加しないと」
「でもケガをしていたので…」
「言い訳だ」
特に2008年の北京オリンピックの際、ぎりぎりになって棄権したのは、計画的で、これはバックの大物が決定したのだろうとささやかれました。
それでは劉翔はなぜ今、引退を発表したのでしょうか。「香港フェニックス」のサイトの記事では、劉翔はずっと自分で何も決められず、スポンサーと政治、この二重の足かせがあったと指摘しています。記事によると、劉翔のスポンサー収入のうち、15%がコーチに、20%が地方の体育局に分配されていました。しかも劉翔のスポンサー契約には当局が関与しています。そこで劉翔は、契約期限が過ぎたあとを選んで引退したと見られますが、違約金を心配したというよりも、関係者に迷惑をかけないようにと考えたようです。
記事はまた、ドイツのテレビ局、「Sport1(スポーツ・アインス)」の伝えた内容を引用し、「劉翔は中国スポーツ界で最も人気を博した、最も悲劇的なアスリートだ」と述べています。「この悲劇はまず、劉翔が体制外にある個性を持ちながら、その身を体制内に置くという矛盾から生まれた」と分析しています。
中国の元アスリート 鞠賓さん
「劉翔は自分で決められません。官僚が彼の最後の命運を決めました。悲劇ですが、これは必然の現象です。このような体制では上の言うことを聞くしかなく、いわば完全に制御された駒に過ぎません。彼の過ちではありませんが、今後も同じようなケースが出てきます」
劉翔は姚明や李娜のように、国の体制を離れて独り立ちしたことがありませんでした。
北京のサッカークラブマネジャー 孟雅春
「外に出れば自由ですが、この体制のうま味を得るなら、良心などを捧げないといけません。哀れです」
「香港フェニックス」の記事はまた、スポンサーと政治という二重の足かせだけでは、これほどの悲劇は生まれなかったと指摘しています。本当の意味で劉翔をノックアウトしたのは、中国人のモラル欠如です。国民的ヒーローは国民の罵声を浴びて倒れました。
中国の元アスリート 鞠賓さん
「多くの庶民が高揚し、極度に興奮しますが、これは あまりよくありません。スポーツマンシップとは相容れませんから。劉翔の活躍を中華民族やら、黄色い肌やら、結び付けて喧伝するのはよくありません。一人のすばらしいアスリートとして、彼を受け入れればいい。いったん政治的に利用されると、その意義が失われます」
劉翔の引退宣言について、海外メディアはどのように報道しているのでしょうか?ロイター通信は、2004年のアテネオリンピックで劉翔は名声と財産を手にし、ロックスターのような生活を送るようになったが、その栄光は同時に巨大なプレッシャーをもたらしたと述べています。またAFP通信は、ファンは心の準備をしているとはいえ、劉翔の引退を知って感情を爆発させるだろうと報道しました。
天国と地獄を味わったアスリート、劉翔が引退したことを受けて、ネットでは彼の今後の人生を祝福する声が多く聞かれています。
新唐人テレビがお伝えしました。
http://www.ntdtv.com/xtr/b5/2015/04/13/a1190549.html(中国語)
(翻訳/河合 ナレーター/水田 映像編集/李)