【新唐人日本2012年5月10日付ニュース】陳光誠氏が山東から脱出後、米大使館に助けを求め、その後大使館を出て、中国に残って法律の勉強を決心しました。その後 ニューヨーク大学に訪問学者として行くと伝えられました。一連のドラマチックな展開から、米中間の交渉の過程が外部の憶測を呼んでいます。
NYタイムズが5月9日その内幕を報道しました。中共上層部の分裂のため、米国は中国の二つのシステムを相手にし、その過程は紆余曲折、ドラマチックでもありました。一方 中米関係において、オバマ大統領の役目に注目せざるを得ません。
NTDTV評論家 趙培
5月9日、NYタイムズの報道は米中間の陳光誠事件の交渉の細部を明かしました。多くの面白い事を発見しました。
まず、中共国務院と政法委員会の二つの異なるシステムが会談に参加しました。国務院の代表は外務省副大臣の崔天凱で、政法委員会の代表は謎に包まれています。米国務院法律顧問の高洪柱氏によると、中共国家安全部の官僚に「陳光誠は懲罰すべきで、米国が面倒を見るべきではない」と怒鳴られたそうです。
ほかにも 国安は色々小細工をしました。例えば、米大使館員の電話を録音したり、通信を封鎖したり、更には国安人員が公然と米訪問団の王副団長と袁偉静の通話中に、割り込んだりもしました。面白いのは米大使館員は看護婦に変装して、朝陽病院に入る事さえ考えたそうです。しかし、この手の事においては米国は中共の相手ではありません。なぜなら、国安人員がすでに医者に変装したからです。
次に、米国は中国の形勢に対しミス判断しています。1972年の米中「上海コミニケ」の処理方法で陳光誠事件を処理しています。中共の面子を配慮したら、中共が陳氏に自由を与えると米国は思っているのです。だから、米国と中共は何の正式な協議も結ばず、ただ簡単な「共通認識」しかありません。
米国政府関係者の説明では「上海コミュニケ」によって、米中関係が樹立し、台湾問題についてははっきり述べていません。これも米国が陳光誠事件において、中共の歓心を買おうとする原因です。具体的な表れが、オバマ大統領と国務長官の沈黙です。クリントン長官は4日、戴秉国国務委員との会談で、「陳氏は必ず渡米しなければならない」と示しましたが、中共の面子を配慮して、その後の記者会見では陳氏を言及しないと示しました。
NYタイムズは最後に米高官の話を引用しました。「単一なやつ(中共)と関係を保つ時代はもう過ぎた」。明らかに陳光誠事件から米国は、中共の改革派と人権抑圧派の分裂を察知しています。
しかし、米国は情勢を1972年の米中連合コミュニケ時期同様とミス判断しています。当時の中共陣営のボスは旧ソ連で、今の中国情勢は旧ソ連の崩壊前夜に酷似しています。中共は共産陣営の最後のボスであり、深刻な社会危機、党内危機、環境危機および経済危機に直面しています。中共内部の派閥闘争と権力闘争は激烈で、対立の調停も不可能な状況です。
1987年6月12日、レーガン大統領は西ベルリンのブランデンブルク門前で、ゴルバチョフ氏に言いました、「ベルリンの壁を押し倒しなさい」。1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結しました。レーガン氏とゴルバチョフ氏はあの時代のヒーローになりました。歴史は今ヒーローになれるチャンスをオバマ大統領に与えています。オバマ大統領の役目はレーガン大統領であって、1972年のニクソン大統領ではありません。
*上海コミュニケ(ニクソン米大統領の訪中に関する米中共同声明)。中国語では「上海公報」。