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習近平の神隠しは薄熙来残党処理のためだった?

2012年10月02日
【新唐人2012年10月02日付ニュース】薄熙来の党籍剥奪と公職追放後、中共上層部の動きが頻繁になっています。本日のマイクロニュースです。
 
前も言及したように、中共十八大は九大を真似ています。1969年の中共九大前は派閥間の闘いが激しく、珍宝島危機後、二つの派閥は迅速に統一し、劉少奇を投げ出しました。今の十八大でも大体同じ状況で、釣魚島問題で庶民の不満をそらし、政変を目論んでいた薄熙来を投げ出して、党内の標的にしています。このときもし誰かが薄熙来を支持したら、薄熙来残党として処理されるでしょう。
 
薄熙来の処分決定後、中共は薄・周の国務院内の勢力を片付け始めています。老榕微博によると、「各部委員会は中央の知らせを通達し、全員の態度表明を要求している」 「B(薄)と関連のある人は15日までに自首すること、その後は清算を辞さない」。北京での薄熙来残党の処理は3月から動きが見られ、当時は軍隊に態度表明を求めていました。3月12日、胡錦涛は中共が軍隊を指揮する方針の堅持を求め、「解放軍報」は3月19日、「党が銃を指揮する」との評論文を第一面に掲載。5月 「解放軍報」は再び文章を掲載し、中共によるリードの堅持を求めました。この期間中、各軍区では胡錦涛支持の態度表明がなされました。メディアの分析によると、これは中共内部に野心家が出たことを表しています。
 
しかし薄熙来残党の処理は5月になると止まりました。現在出された情報によると、当時中共常務委員会内部では、周永康が実権を手放して、十八大の人事推薦権を放棄しさえすれば、薄熙来残党は追及しないとの協議を結んだそうです。しかし5月以降、周永康と曾慶紅は薄熙来を救おうと小細工が絶えませんでした。
 
更には習近平が半月ほど身を隠したのは、江沢民派が習近平に薄熙来の刑事処罰免除を強要したため、習近平は権力交代を拒み、半月も身を隠したので、上層部が薄熙来の厳重処分に同意したそうです。この情報は説得力があります。なぜなら習近平が姿を現したと同時に王立軍の公判が行われ、新華社の報道でも矛先を「重慶市主要責任者」薄熙来に向けたからです。慌てた周永康は自ら安徽の合肥裁判所に行き、処罰に反対する言論を発表しました。
 
中共内部の薄熙来残党を見逃す、協議はすでに破棄され、全員の態度表明が再度始まりました。薄熙来の処分後の次の日、汪洋が主催した広東省常務委員会議では、「党中央の薄熙来に対する審査と処分」に対し、断固として擁護すると表明しました。このとき、最も危険なのは重慶の張徳江でした。薄熙来との関係を切り離したければ、十八大報告を書き直さないといけないからです。動作が遅いと政治局入りは不可能になります。
 
本日のマイクロニュースはここまで。
 
(翻訳/坂本 映像編集/工)
 

 

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