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ウクライナと中国の大飢饉

2014年11月24日

 

【新唐人2014年11月24日】11月22日 、ウクライナ・キエフでは市民が1932〜1933年に発生した大飢饉で餓死した数百万人の同胞を悼みました。今年でウクライナ大飢饉から81周年を迎えたのです。ウクライナ大統領と夫人は記念碑の前に跪きました。歴史学者の推計では約240〜750万人がこの大飢饉で命を落としています。ウクライナは正直で「大飢饉」を「飢餓による虐殺」と解釈しているのです。それに比べ、中共はとても狡猾です。大飢饉を「3年の自然災害」と言って、未だに庶民を騙しているのです。

 

ウクライナは旧ソ連の穀倉地帯でした。ウクライナで餓死者が出るとは信じられないことでした。この大飢饉は旧ソ連の「スターリンの農業集団化運動」が原因でした。中共式に言えば「人民公社化運動」と「土地改革」なのです。何をやったのかというと、農業生産経験のある「富農」を逮捕・追放したのです。そうすると残された農民は農作業をまともにしなくなるのです。まともにやると、シベリアに追放されるからです。

 

この愚策によって1932年ウクライナの食糧生産量が激減しました。この年 旧ソ連はウクライナからの食糧収用ができなくなりました。政権維持に危機感を感じた旧ソ連はウクライナに兵隊を派遣し、ウクライナの食糧や種子を全て収用しました。名目上は「公有」です。同時に飢餓から避難する人々を「階級の敵」として逮捕しました。

 

飢えに耐えられなくなったウクライナの人々は結局共食いをするにまで至りました。ソ連共産党は中共ほど陰険ではありませんでした。食人の事実を隠さず、かえって「野蛮な行為」だと批判しました。2500人以上が食人のため、犯罪者と定められました。ウクライナでは餓死者が多すぎて、大飢饉の後は労働力すらありませんでした。するとソ連はロシア人をウクライナに移住させ、農業に従事させました。このことによってウクライナには未だに民族問題が残っているのです。なので、ウクライナ人とロシア人は共産主義の罪悪のために互いを敵視すべきではありません。歴史上の苦難の根源を正しく認識してこそ憎しみをなくし共に未来へ向かうことができます。

 

ここまではウクライナ大飢饉について詳しく紹介しました。1959〜1961年、中共も大飢饉を作り出しましたが、ソ連の間違いをすべて繰り返しました。例えば「人民公社化運動」、食糧の強制収用、避難民の阻止などです。それで3000万人以上が餓死したのです。中共のソ連より陰険なところは全ての真相を隠し、3000万人が餓死した証拠まで隠蔽したのです。

 

ある学者が最近暴露した四川省彭水県の1961年の人口調査表が大飢饉の残酷さを証明しています。1960年、大部分の人が浮腫、乾瘦病で死亡しており、家族全員が死んだケースも珍しくありませんでした。この表を見てください。この表だけでも5つの家族が全員死亡しています。四川省は元々穀倉地帯なのに恐ろしくありませんか?

 

中共が土地改革で地主を殺していた時、知識人の一部は共産主義の邪説を「進歩」だと信じていました。しかしその後間もなくして中共は知識人に矛先を向け「反右派運動」を始めました。農民たちは「自分は知識がない」から中共の「焚書・坑儒」から逃げられると思っていました。

 

すると中共は「人民公社化」を始めました。その後は「大飢饉」で3000万人が餓死しました。歴史の教訓が我々に教えています。我々の子孫のためにも皆が立ち上がって、共産主義の悲劇に終止符を打つべきなのです。

 

本日のマイクロニュースはここまで。

 

http://www.ntdtv.com/xtr/b5/2014/11/24/a1156396.html (中国語)

(翻訳/坂本 映像編集/李)

 

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