カルテシリーズはこれまで、漢方の不思議で興味深い症例をご紹介してきたが、日本語版はこの38回で一旦お休みとなる。節目となる今回、お伝えするのは前漢時代の医者、淳于意(じゅん うい)の話である。
ある時、斉王の子供を診ることになった淳于意は、その子の脈をとる。そして「脈来数疾、去難而不一」と告げた。分かるようで分からない漢字の羅列だが、ここから脈学の奥深さが見て取れる。「来」とは脈が上に上がる時の状態を指し、「去」は脈が下に戻っていく状態、「不一」は一定ではないことを指す。つまり、脈が力強く上に上がってくるものの、もどっていく時は非常に弱弱しい。そして脈拍は一定ではない状態を意味している。このような脈の状態を脈学では「鉤脈」と呼び、心(しん)の病だととらえる。淳于意は斉王の子はいわゆる現代でいう「心臓病」だと診断し、処方を出して治療した。
現代医学では、脈は主に心機能を診る指標に過ぎない。だが、漢方の脈学に基づけば、全身つまり五臓六腑の状態さえ分かる。脈の強さ弱さ、脈拍やリズムはもちろんのこと、脈管の太さや硬さなど、極めて細かい点まで診る。もちろん、脈学のこのような基本的な知識を備えていなければならないが、これらをきちんと診断するには、医者が何よりも心の平穏を保つことが大切だと胡先生は指摘する。
この奥深い脈学の真髄を受けついたのがこの淳于意である。淳于意の師、公乗陽慶(こうじょうようけい)はまず、淳于意に対しそれまでの医学書を処分するよう求めた。師の言葉に従った淳于意はようやく、公乗陽慶から黄帝や扁鵲の脈学の書を授けられたという。すなわち、師を心から信頼し専一を誓ったからこそ、本物の弟子としてあつかわれたのである。かつて医を学ぶことがどれほど神聖で厳粛だったかが、うかがえるエピソードだ。