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カルテ(十九)―命の重さをかみしめて

2010年03月26日

昨今、献体希望者が増えている。その数の多さに、中にはその申し出をやむを得ず断る大学さえあるという。これは恐らく、人々の善意の表れだろう。「自分の体を、将来の医学の発展に役立ててほしい」 

献体と言えば、生きている人間を使った人体実験が連想される。だが人体実験は、時に残忍さを極める。戦前のナチスドイツや旧日本軍の行った人体実験の数々はよく知られるところだ。収容された市民や捕虜を使って実施した毒ガス実験や細菌実験。戦争の狂気のもととは言え、その残酷さには体が震える。だが、非情な人体実験は決して過去のこととは言えないのだ。
 
「人体の不思議展」をお聞きになったことはないだろうか。世界を巡回している人体標本の展覧会で、これらの標本は中国で作られ、中国人の死体が使われている。人体の体液を樹脂に置き換えたという生々しい人体が、展覧会では多数観ることが出来る。中には槍投げをしたり、ランニングをしたりする若者の姿や胎児を身ごもっている妊婦さえあるのだ。
 
これには非難の声も少なくなかった。一つは死体への敬意や尊重が欠けている点。もう一つ、これこそが肝心なのだが、死体の出所が不明な点である。盗まれた死体、死刑囚、あるいは刑務所で命を落とした収監者など、疑いの声は尽きない。仮にそうだとすれば、これは重大な倫理問題だ。「医学の発展」「知的好奇心の満足」など、どんな大義でも許されるものではないだろう。
 
「人の命は地球よりも重い」と言う。これは単なる掛け声ではないはずだ。あれら謎に満ちた人体標本を前に、逆に命の重さをじっくりとかみしめたい。
 

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