もしも突如、自分の目の前で人が倒れたらどうするか。まずは心臓マッサージや人工呼吸など、蘇生措置を施すはずである。そうして相手が息を吹き返したら、ようやく他の症状にも手を付け始める。例えば、その人の持病や後遺症・合併症などである。
実は漢方も同様だ。古来、こんな言い方がある。「急則治其標 緩則治其本」。つまり命の危機に直面したら、まず表面のものを治す。それが一旦落ち着いてから、根本の病気を治療し始める。
このカルテがまさにそういう話である。昔、赤痢にかかり高熱や咳・吐血に悩む患者がいた。しかも、へその周りには気の塊さえ出現している。しこりになるほど重症で、耐え難い痛みであった。実は、これこそが彼の命を脅かす、最も危険な要素だったのである。
どの医者も、彼にはお手上げだった。だがその時、ある漢方医は彼を診るとこんな行動をとる。まず、この気の塊を散らすために「気海(きかい)穴」を鍼灸し、そのあと赤痢や高熱・咳などの治療を始めたという。すると、彼のこの「不治の病」が徐々に回復を見せ、彼は一命を取り留めることが出来た。
だが、面白いのはここからだ。この漢方医は最後患者にこう告げる。「これからは食事の時、むやみに怒ってはならない」
なぜこんな助言を残したのか。それは、この漢方医は彼の病気の原因に気付いていたからである。つまり彼の腹部に気の塊が出来たのは、彼が怒ったため肝が傷ついた。それが脾をも傷つけた結果、気の塊が生まれたのである。
胡乃文先生はこの漢方医を賞賛する。どの医者も手の施しようがなかった病を彼が治したからだけではない。胡乃文先生が何よりも称えるのは、この漢方医の医徳である。つまり、「彼がこれから再びこの病気にかからないように」助言した点を評価したのだ。
「上工治未病、中工治已病」という言い方がある。優れた医者は二度とその人が病にかからないようにするが、平凡な医者はすでに出現した病しか治せない。こういう意味である。
確かに今では予防医学が脚光を浴び始めている。だが、単に教科書通りの予防法を教えるだけでは足りない。人間は一旦、良くない癖・嗜好や考えが染み付いてしまうと、それを変えるのは至難の技だからである。喫煙や飲酒がその典型例であろう。
よって、それらを変えるには相手が心底納得できるような、正しくて分かりやすく、説得力のある言葉が必要だ。そしてその言葉には、相手の心を揺さぶるほどの力も帯びていなければならない。それはすなわち、医者が心から相手の健康と幸せを願う心だ。これこそ、ほかでもない「慈悲心」ではないだろうか。
真に優れた医者は慈悲心を持つ。だからこそ、優れた漢方医はこのうえなく偉大なのである。